メガネの備忘録

文豪の人間関係にときめいたり、男色文化を調べたり、古典の美少年を探したりまったりワーク。あくまで素人が備忘録で運用してるブログなので、独断と偏見に満ちており、読んだ人と解釈などが異なると責任持てませんので、転載はご遠慮ください

独断と偏見で語る 宮沢賢治 銀河鉄道の夜 カムパネルラは誰なのか?考察

f:id:todoroki_megane:20210120083752j:plain 小学校の頃、銀河鉄道の夜を読み、私のカムパネルラにもいつか会えるだろうか、という夢想をアラフォーになっても引きずっているメガネです。 さて、大人になって、宮沢賢治の人となりや人間関係に触れる機会があり、改めて銀河鉄道の夜を読んだ時、カムパネルラのモデルはいったい誰だろうという疑念が生まれました。 今回は、カムパネルラのモデルになったのではないか? という人々を、メガネの独断と偏見で紹介していきます。

妹・とし子

宮沢賢治の良き理解者だった妹、トシさんが、長らくカムパネルラのモデルではないかという説に同意していましたが、改めて、賢治の行動を見直したときに疑念が。

トシさん死後、宮沢賢治はトシさんの魂の行方を捜して、鉄道に乗って岩手からサハリンまで北上します(他の用事もありましたが)。しかし、見つけることができませんでした。もし、銀河を南下していく銀河鉄道の夜の物語の世界でも、トシさんの魂の行方を探していたなら、カムパネルラ(旅の同行者)というより、旅の目的だったのではないかと思う次第です。

尋常小学校のクラスメイト

宮沢賢治が小学校の時、同級生が川でおぼれて死ぬという事件が。カムパネルラの死を想像させます。

藤原健次郎

賢治の盛岡中学校時の親友。一緒に石の採取などをする仲でした。しかし若くして病死し、賢治に大きなショックを与えたといわれています。 (読むと楽しい宮沢賢治と矢巾町

保阪嘉内

盛岡高等農林学校で賢治と出会います。トルストイに憧れて学校に来た彼は、賢治と意気投合。仲間たちと山に登って、将来人々の幸せのために働こうと誓い合います(銀河の誓い)。 また、仲間たちと一緒に同人誌「アザリア」を発行するなど、互いに創作活動を刺激しあいます。しかし、嘉内は「アザリア」に掲載した文章がもとで、退学処分。 退学後も手紙で賢治とやり取りするが、次第に二人の間には思想の溝ができます。決別は上野の帝国図書館。その様子は、「図書館幻想」「われはダルケを名乗れるものと」「蒼冷と純黒」などに描かれています。その後の二人の交流は、資料が残っていないため、謎です。 賢治の心友だったことからカムパネルラのモデルでは? と考えられています。また、嘉内が中学校の頃に描いた彗星の絵(銀漢ヲ行ク彗星ハ夜行列車ノ様ニニテ遙カ虚空ニ消エニケリ)を見て、賢治が銀河鉄道の着想を得たのではないかとの説も。 あと、嘉内は母親を亡くしているので(賢治もそのことを知っている)、カムパネルラとの共通項に母の死をカウントされることもあります。 (読むと楽しいWikipedia

河本緑石

嘉内と同じく盛岡高等農林学校で賢治に出会います。保阪嘉内と小菅健吉と宮沢賢治と仲良し4人組の一人。アザリアの刊行にも関与。 学校卒業後、教師となり、川でおぼれる生徒を助けに行った兵士を助けに川に入り、代わりに溺死。 賢治が死ぬ直前に発行された同窓会名簿に、訃報と死にざまが記載してあり、それを賢治が読んで銀河鉄道の夜の最終稿に手を加えたなら、彼も、カムパネルラのモデルの一人なのかもしれません。 (読むと楽しい河本緑石研究会

大畠ヤス

宮沢賢治の恋人だったであろうとされる人。 宮沢賢治が教員時代に出会う。結婚寸前まで話が行きましたが、ヤスさんの親が結婚を許さず、またヤスさんが病気になり、別の人と結婚したことから、結婚は叶いませんでした。また、ヤスさんも若くして病死しています。 ジョバンニが賢治なら銀河を旅する同行者に、かつての恋人を選ぶというのもあり得るかもしれません。 (読むと楽しい新版 宮澤賢治 愛のうた/澤口たまみ

宮沢賢治自身

カムパネルラの名前の由来に諸説ありますが、「銀河鉄道の夜」に影響を与えたとされる「太陽の都」の著者の本名(洗礼名)のフルネームが、「ジョバンニ・ドメニコ・カムパネルラ」だったことから、ジョバンニ=カムパネルラ(同一人物)とし、賢治=ジョバンニなら、賢治=ジョバンニ=カムパネルラが成立します。 また、銀河鉄道の夜の原稿の裏に「カムパネルラの恋」という謎な記述がされており、恋の向かう先がヤスさんならば、カムパネルラ=賢治ではないかという説もあります。

結局カムパネルラは誰なのか

作者本人が何も語らなかったので(作品自体も死後発表されたもの)、正解はわかりません。 個人的には、宮沢賢治が大事にしていた友人の集合体がカムパネルラだったらいいなーと思います。 賢治自身はむしろ、第三次稿のブルカニロ博士等に投影されていたのではないかと(最終稿では消えましたが、ブルカニロ博士)。

賢治の人生を読み解いてから再び賢治の描いた童話に触れると、また違った読み方ができるので、秋の夜長、賢治の人生やかかわった人々に触れつつ、銀河鉄道の夜再読などいかがでしょうか?