メガネの備忘録

文豪の人間関係にときめいたり、男色文化を調べたり、古典の美少年を探したりまったりワーク。あくまで素人が備忘録で運用してるブログなので、独断と偏見に満ちており、読んだ人と解釈などが異なると責任持てませんので、転載はご遠慮ください

『風俗科学』1953年8月号(創刊号)からソドミア抜粋

冬になったせいか、手荒れがひどいメガネです。でもクリームを塗ると、パソコンのキーボードが汚れる…とためらってしまいます。

さて、芦立鋭吉にはまり、そのまま、戦後カストリ雑誌沼に足を踏み入れて、これはまずいな…引き返すなら今かも…となりつつ、当時のそどみあ事情が興味深くて、先日『風俗科学』をほぼコンプリートしました(2巻2号販売されていたらお教えください)。

で、興味があるのはソドミアだけなんですが(痛いのが苦手なので、責めとか縛りはちょっとしんどい)、ソドミア記事を時間がある時に紹介していこうかなと文章をしたためています。

今回は、『風俗科学』1953年8月号(創刊号)からソドミア抜粋です。

 

■ドイツを震撼させた男色裁判 森藤一郎

事の起こりは1906年秋、「未来」という雑誌にマキシミリアン・ハルデン氏が寄せた論文だった。
時の皇帝と前ウィン駐在大使フィリップ・オイレンブルグ公爵に性的関係があること、オイレンブルグ公は皇帝のほかにも、ベルリン衛戌総督モルトケ伯などとも性的関係にあるという。
この記事が当時のドイツの上層部の度肝を抜き、男娼に裏をとったら真実らしく、ドイツ中に知れ渡る。ちなみに、ドイツでは男色に対する刑罰が存在した。よって、真っ先に立ち上がったのが、モルトケ伯で、裁判に持ち込んだ。ちなみに、論文に掲載されたそのほかの人は上司に罷免されるなどしている。
裁判でハルデン氏はモルトケ伯を打ち破る証拠や証言を次々と明かしていく。
この裁判について、皇帝の権力が加わって、貴族の権威のためにモルトケ伯を負かしてはならなかった。
裁判官はそのためにハルデン氏の証言をことごとくつぶしたが、それに負けるハルデン氏ではなく、結局戦い疲れたモルトケ伯がハルデン氏に妥協した。
実質上、ハルデン氏の勝利に終わった。
この事件の10年後、ドイツの帝政は瓦解する。
裁判に鑑定人として出席した、ベルリンの神経症専門医ヒルシュフェルド博士によれば、男色者は上層階級には極めて少ないとしていたが、果たして…。
という内容で終わる。

個人的にモルトケ伯の夫人の、夫の男色者である証言がとても面白くて、笑ってしまった。

 

■男色は流行する―その社会的考察― 柏倉幸蔵

聖書のソドムとゴモラの町を、男色の起源とし、古代ギリシャから戦中の日本に起こった男色をはじまりに、男色流行の基盤までを考察していくコラム。
江戸時代の陰間、パリの美少年誘拐、ソクラテスプラトンの間の男色関係、また、いかなる理由があって、男色が発生したか、男色流行の基盤とは何かを細かく分析している。


■男色閑談 宮園三四郎

著者、宮園三四郎が出会った男色者の証言や手紙を紹介している。
ところで著者が書いたとされる「せきじゆある・もんたあじゆ」に男色を扱った小説がたくさん載っているという記述があり、よみたさマックスなのですが、どこで読めますか…。
ちなみにソドミア小説で見かけた、軍隊で稚児さんを持っていたという証言が載っていて、リアルなんだなー(当たり前なんですが)と思いました。はい。

 

■男色閨怨(小説)遠藤松喜

富岡久左衛門は草履取の愛人を3人抱えていたが、一番年上の松蔵が少年期を脱し、男臭くなったので、敬遠するようになった。可愛がってくれなくなった久左衛門に業を煮やした松蔵は久左衛門を殺害、遁走する。
久左衛門の息子久馬が親の仇討にと、松蔵を追って九州までたどり着く。そこで久馬が出会ったのは病(ライ病)のため、顔が醜くなった男だった。松蔵と名乗る男は、久馬に殺せというが、久馬は同情し、殺さず見過ごす。
実はこの男は松蔵の九州でできた知り合いで、とうの松蔵(美しい若衆姿)は砂取長者といわれる川瀬長右衛門の長女と結婚直前だった。
松蔵は男に褒美の金を渡すと、男を川に突き飛ばして殺した。

え、松蔵残酷! ってなりました。幸せになれるんやろか…。