noteに投稿したのと同じ内容です
先日Xくんで、もっと軍ソドが読みたいというポストを見て、胸が熱くなったメガネです。グンソド面白いですよね。
さて、今日紹介するのは、水兵生活のお話です。M検描写とかあります。
体験談―水兵生活と褌
私は褌愛好者の一人ですが、奇クに褌に関するレポや記事が少いのは、読者層にもよるでしょうが残念です。私はまたソドミーでもあり(尤も褌愛好者は同時にソドミーであるわけです)この関係のものも十分でなく満足できません。そこで、私の軍隊――海軍――の経験を若干述べてみたいと思います。
私は徴兵でとられて第一乙で海軍に入隊したのは戦争もたけなわの昭和十八年でした。場所は横須賀の武山海兵団です。まず第一の記憶は入営時に始まります。逗子で降りると私と同様に頭を丸刈にした国民服や背広を着た二十歳代の青年がぞろ〳〵集っていて、案内に出た兵隊の指図を受けていました。兵隊は、はちきれるばかりの体格をセーラー服に包み、トビのように光る眼差を私たちにそゝいでいました。私たちは隊伍を組むと、数人の兵隊の先導で武山に向いましたが、いわゆる娑婆で聞いていた軍隊生活とは、ちょっとちがった無気味さを感じ、営門に近づくにつれて足が重くなったのを憶えています。営門を入ると緊張した空気がいっぱいに漲り作業服を着けた若い兵隊の忙しく走り廻る姿が眼に入りました。私たちは教育長の簡単な訓辞を受けると数人の下士官が、それ〴〵名簿を読みあげ、班を分けられると引率されて、いわゆる居住区に入りました。
私の教班長は志願兵出身の叩きあげで、私たちのおど〳〵した、しかも娑婆気たっぷりの一挙手一投足をじっとみていました。彼はまず私たちに一枚の包紙と麻紐と荷札を与えそれに住所氏名を書かせ、衣類をそれに包んで荷造りするように命じました。私たちは越中褌一つになってそれをすますと、身体検査場に連れてゆかれました。これで最後的に合格、不合格がきまるわけです。検査場の前に整列すると、教班長は突然尻上りの声をあげて「エッチューはずせー」と号令します。私たちはちょっと、あっけにとられましたが越中褌をはずし、素裸になって検査官の前に並びました。後でわかったのですが、海軍では身体検査はすべて全裸で受けなければならないのです。視力から内診、そして判定まで一糸まとわぬ姿で行動するのです。私たちは通路の一側に順番がくるまで前後の裸体に圧迫されながら直立していなければなりません。私が他人の肉体に触れたのはこれがはじめてで、異様な興奮を覚えたのを憶えています。衛生兵は精神棒を矢鱈に振りながらまご〳〵する新兵の尻を小突いたり、また意地悪く笑いながら「お前ら、えゝ気持になるなよ」とからかったりします。実際、私自身、じわ〴〵興奮する気持を、じっとおさえていなければなりませんでした。しかしM検にくると、すっかりうろたえてしまいました。そこでは性病がバレた一人の新兵が皆に疾病箇所がよく見えるように立たされていました。
彼は照れかくしに笑っていましたが、姿勢がくずれると衛生兵は眼をむき出してビンタを張っていました。私は医官の前で直立不動の姿勢をとり、教えられた通り………………出しました。しかし医官は私の押えている……………とると大声で笑い出し、私が苦笑していると医官は「ホーケー」と、ダミ声をわざとはりあげていうと私に四つん這いになるように命じました。これが終ると検便です。数人の下士官が腰かけている前に走ってゆかなければなりません。まずちょっと前屈みになり、両手を後に廻して……………のです。それ〴〵一列になって検便の姿勢をとっている新兵の……………下士官は無雑作に「空気入れ」似た吸入ポンプを……………す。妙な感覚が……………頭に抜けてゆくのを感じました。すべての検査を終ると、軍医長の「異状なし」という判定を受け、私たちは居住区にもどりました。私たちは一切の私物をとられていましたので全裸で官品の支給を待たなければなりません。予想しなかったことだけに、度胆を抜かれた私は、将来の軍隊生活に激しい不安を感じないわけにはゆきませんでした。支給された官品を身につけ寒々した悲哀を感じたのを、よくおぼえています。
このような検査は、外出が許されるようになってから定期的に行われました。性病予防が目的です。デッキに素裸で整列したり「エッチューはずせー」という号令も機械的に受けとることが出来るようになりましたし、下士官が私たちをからかうのも毎度のことでした。海軍には、いわゆる「バッチヨク」はつきものです。この典型的なものはバッターで尻をたゝく方法です。私の一等兵時代は通信学校で過しましたが、バッターの鳴らない日はありませんでした。戦争の旗色が悪くなると兵隊の気もすさみ、バッチヨクも一層ひどくなりました。バッターの使用は禁じられていたのですが、実際は公然と行われていました。特に志願兵あがりの下士官は私たち徴兵で入ってきたものを軽蔑していましたので、その方法はひどいものでした。誰かがちよっと大きなミスをすると、その夜――主として夕食後ですが――全員バッチヨクが行われます。はじめは作業衣を着けたまゝ受けましたが、次第に越中褌一つにさせたり、その褌さえもはずされるようになりました。
深夜の非常呼集があった時です。私の班のKが軽業患者であるということで、ずるけて寝ていたのです。これが、先任下士官の忌避にふれ、私の班は全員バッチヨクを受けました。私たちは怒声で追い立てられながら袴下をずり下げ、越中褌をはずすと、万歳の姿勢で両足をひろげて下士官に素裸の尻を向けるのです。私たちは五、六回打たれるだけですみましたが、Kは全裸にされ、吊床のフックに両腕を吊らされた姿勢で尻をなぐられていました。彼はその翌日完全に腰が立たず唸りながら寝ていたのをおぼえています。
男だけの殺風景な軍隊生活では、またいわゆる「よばい」が行われました。それは先任下士官や教班長が、その特権地位を利用して若い兵隊を相手に彼等の性欲を発散させる一つの方法です。この場合、若い兵隊は「稚児さん」とよばれました。稚児さんにはなるべく年の若い眼鼻立ちのととのった兵隊が選ばれましたが、それも材料に窮してくると誰彼の差別なく稚児さんにならざるを得ない運命に置かれました。「よばい」が行われるのは点検終了後です。先任下士官の室が使われ、他の下士官(教班長)は彼の外出の夜、了解のもとにその室を使用するわけです。順番が廻ってくると同僚はにや〳〵笑いながら「今日はお前だぞ」と囁くのです。稚児さんになる兵隊はその晩入浴し、点検が過ぎると先任下士官室のドアをノックします。「〇〇一水入ります」と声をかけると下士官の返事があり、入室を許されます。兵隊は下士官の命令で……………わけですが、それには符諜がついていて稚児さんは予備知識としてそれをおぼえていなければなりません。「敵は後方」といったら……………の意味で「敵は前方」といえば…………の意味です。下士官は単純な遊びに満足しなくなると、稚児さん同志で……………見物しました。前者を「相撲をとらせる」といゝ後者を「踊らせる」といゝました。
(続く)