暑中お見舞い申し上げます、メガネです。
2025年7月20日は狂言「文荷・八尾」を見にバビューンと福岡に行ってきました。
弾丸過ぎて体がしんどかったです。年だな…。
さて、文荷と八尾は堂本正樹氏の『男色演劇史』で男色を扱っている狂言であると認定された演目であり、一生に一度は見てみたいなーと思っていました。
文荷は結構メジャーな作品なので、いろんなところで上演されるのですが、八尾は、あまり見かけません。
で、その2作がまとまってみられるうえに、野村萬斎氏がうらのテーマはBLですと公言してるので(表のテーマは文です。両作品とも手紙がキーアイテム)、見に行かなくちゃと何とかチケット争奪戦を勝ち抜き、福岡まで飛んだのでした。
萬斎氏の作品解説、裕基氏の万作氏 映画と今回の演目中に出てくる面の紹介を経て、文荷がスタート。
【文荷】
千満という少人(当時の男性アイドル的なもの)が会いたいと言ってきたので、会いに行きますという先ぶれの手紙を書いた主人は、家臣の太郎冠者と次郎冠者を(英語でいうと、The First ServantとThe second servantだそう。ワールドワイド)呼び出し、手紙を届けるように命じます。
奥様がダメっていうのでは、などとごねる太郎と次郎ですが、イラついた主人が刀を抜いたので、手紙配達人を引き受けます。
といっても気乗りしない、配達なので、手紙を押し付け合ったり、竹の棒に括り付けて担いだり、手紙の表書き読んだり(その表書きを揶揄したり)、果ては中身を読みだして、「恋し恋し」と書いてあるから「小石」が沢山で手紙が重いとか「富士山」と書いてあるからやっぱり手紙が重いとか、文字が汚いとかやいのやいの騒いでいたら間違って手紙を破いてしまいます。
なかなか帰ってこない太郎次郎にしびれを切らして、主人が太郎次郎の後を追うと、破れた手紙と責任を擦り付け合う太郎次郎が。
怒る主人に対し、謝りながら逃げる太郎次郎でした。
始終ドッカンドッカン笑いが起こっていました。
(この話、主人の少人への想いを太郎次郎が面白おかしくからかってんのが、ひどいwとなるやつです)
太郎冠者と次郎冠者の裃(かみしも)は、熊谷守一の絵を起こしたもので、太郎が白蝶々次郎が黒蝶々(?)で可愛かったです。
ちなみに、この演目は、能の「恋重荷」のパロディだそうです、
恋重荷のあらすじは↓

写真は『男色演劇史』より
【素囃子】早舞
心洗われるというか、よかったです
【八尾】
登場人物は閻魔大王と亡者のみ。閻魔は武悪という面を、亡者はうそふきという面をつけています。
武悪は照らすと(上を向くと)柔らかい顔、曇る(下を向くと)怖い顔、うそふきは照らすとあほっぽい顔、曇らすと悪っぽい顔になります。
閻魔大王が現れ、昨今、人間が賢くなって南無阿弥陀仏の一言で極楽へゾロリゾロリと行ってしまうので、地獄は(亡者がおらず)飢饉となっている。そこで、閻魔大王自ら六道の辻で待機して、亡者を地獄へ連れて行こうと画策する。
そこへやってきた一人の亡者。文を掲げている。
閻魔とばったり会った亡者は閻魔の姿を見止めると文を差し出す。閻魔がその文を見ると
閻もじ参る、地より。
と書いてある。閻もじというのは艶文のつねであり、地よりは地蔵よりの略で、色っぽい。
八尾の地蔵が閻魔大王に文を送るのは、昔地蔵は美僧で、閻魔は知音だったという。知音とは、知り合いとか仲が良かったという意味だが、この話では地蔵と閻魔のホモセクシャルな関係を指し、手紙も艶文(ラブレター)めいている。
閻魔がラブレターかもと思って読み進めると、この文を持っている亡者が地蔵の信者の小舅なので極楽へ送ってほしいと云うものである。
手紙の力で強く出る亡者に閻魔はまいってしまうが、古の恋の思い出を大切にするために、亡者の手を引き、極楽の方へ案内し、しみじみと別れるという話。
閻魔可哀想すぎない?
あと亡者が、地蔵に聞いたところ閻魔大王というのは昔きらきらしていたというのに、閻魔が飢饉だから装飾はなくなったと返すのが哀れ。
本を見ながら、もう一回見たい演目でした。

写真は『男色演劇史』より
老武者と八尾と文荷は死ぬまでに見たい演目だったので、見れてよかったです。ありがとう野村萬斎さま。
30度超えの冷房のない部屋で書いたので誤字脱字してるかもしれません…暑いよ…夏…