メガネの備忘録

文豪の人間関係にときめいたり、男色文化を調べたり、古典の美少年を探したりまったりワーク。あくまで素人が備忘録で運用してるブログなので、独断と偏見に満ちており、読んだ人と解釈などが異なると責任持てませんので、転載はご遠慮ください

季刊男色 能

はじめに

初めて能の物語が美しいと思ったのは、能「松虫」を引用した小説『夜の声 冥々たり/鷹守諌也/新書館ディアプラス文庫』を読んだ時だ。彼岸の青年に思いを寄せ、此岸を捨ててしまう青年の物語で、その物語の静かな美しさがとても魅力的な作品だった。思春期の私はその時能の物語に興味を持った。

 恥ずかしながらきちんと自分で能を鑑賞したことがない。1度だけ、高校の課外授業で見たきりだ。

 ただ、能の物語は私を魅了し、能の解説本を幾冊か読む機会があった。

 カルチャーとしての男色に親しむうち、「松虫」が男色ものだったと思い出した。また若衆文化研究会で男色を取り扱った演目が少なからずあることを知り、能の中にあるブロマンスを探求するようになった。

 今回の『季刊 男色』は今までの活動の中から、個人的に男色であろうと判断した物語を紹介するものだ。

 個人の見解なので、それは違うだろうという指摘を受けるかもしれない。

 そういう認識もあるのだと、軽い気持ちで読んでいただければ幸いです。

 

能とは

 

 室町時代(14世紀)、申楽師・観阿弥世阿弥親子によって成立した新しい舞楽の様式です。

 世阿弥がまだ12歳の少年の頃、将軍の寵愛を受けることとなり、その絶大な後援を得て、観阿弥世阿弥親子は能を一層優美な舞台芸術に高めました。

 巡業中に、観阿弥が死に、まだ若い世阿弥が後を継ぎます。彼は父の遺志を継いで、能を「幽玄」を理想とする歌舞主体の芸能に磨き上げていきました。「シテ」(主演者)を中心にした演出を完成させ、多くの作品を残しました。また、能芸論書『風姿花伝』を記したことも有名です。

 

 時代の変遷とともに、廃れた曲もあり、現代で演じられる演目は約200曲と言われています。

 

 

【引用・参考サイト】

能楽協会サイト」

https://www.nohgaku.or.jp/encyclopedia/whats/history.html

「the能.com」

https://www.the-noh.com/jp/trivia/075.html

皇帝の寵愛が、不老不死の霊薬をうむ

菊慈童(枕慈童)

 

【あらすじ】

 物語の舞台は、中国の魏の国、文帝(という治世者)の治世。

 酈縣山(れっけんざん/てっけんざん)の麓から霊水が湧き出て、その源流を探るため、勅使一行が派遣されました。

 勅使は山中に一軒の庵を見つけ、観察していると、庵から一人の風変わりな少年が現れます。

 勅使が怪しんで名前を聞くと、「自分は慈童という者で、周の穆王(ぼくおう)に仕えていました」と答えます。7百年も昔の話なので、この少年は化け物ではなかろうかと、勅使が怪しむと、少年は答えます。

「ある時、皇帝の枕をまたぐ過ちを犯し、死刑は免れましたが流罪にされ、酈縣山に捨てられました。

 皇帝は、自分を憐れみ、ひそかに皇帝の直筆の二句(四句)の偈(経典の言葉)が入った枕をくださったのです」と証拠として枕を見せました。

勅使もそのありがたさに感銘を受け、慈童と勅使で、その偈(経典の言葉)を唱え味わいました。

 慈童は、自分が二句の偈(経典の言葉)を菊の葉っぱに写したところ、その葉に結ぶ露が不老不死の霊水となり、それを飲み続けていたから、七百歳にもなったのだと語り、喜びの舞を披露します。

 慈童は、その露の滴りが谷に淵を作り、霊水が湧いていると告げ、勅使らとともに霊水を酒として酌み交わします。

 そして、帝に長寿をささげ、繁栄を祈念して、慈童は山中の庵にかえっていくのでした。

 

 

【男色ものとして読む】

 元は中国のお話で、『画題辞典』によると、

 

 菊慈童は支那の仙童なり。初め名を慈童という、容姿頗る艶麗、周の穆王に仕えて寵を受けしも、官人の妬む所となり、過失を嫁せられて、十六歳にして流罪に処せらる。

 

 とあり、美少年で、皇帝から寵愛を受けるも、嫉妬され罠にはめられて流罪になったようです。たとえ皇帝の枕だとしても、枕をまたいだだけで流罪というのは刑が重いと思っていたら、周りの嫉妬からということで、納得しました。

 それほど、皇帝と慈童の関係が深かったのでしょう。

 謀事に抗えなかった皇帝ですが、流罪時に、皇帝の直筆の二句(四句)の偈(経典の言葉)が入った枕を与えるほどの特別待遇、慈童もそれを大切にし、経典の言葉を菊の葉に写していたのも健気です。

 結果として、不老不死の霊薬が生まれ、慈童はこの勅使が来た段階で、七百歳まで生きていますが、恋しい皇帝はすでに死んでもうこの世にいません。

長命はめでたいですが、愛する人との別離が永遠に続くのだとしたら、ある種、慈童は哀しい存在だと思いました。

 永遠の命と、永遠に続く慈童の想いにしんみりする作品です。

 

 

■引用資料

斎藤隆三(1988)『画題辞典』 国書刊行会 

 

■参考資料

【枕慈童(まくらじどう)/the 能.com】

https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_085.html

引き取った父は、本当に実の父?

花月

 

【あらすじ】

昔々、 九州筑紫の国、彦山(ひこさん:英彦山とも)の麓に父子が暮らしておりました。 しかし息子が7歳の時に行方不明に! 父は出家し僧侶となり、諸国修行の旅に出ます。 そして、数年後、春の京都にたどり着いた僧侶は、清水寺を詣でます。

 

清水寺の門前の人に、僧侶は「何か面白いものはない?」と問いかけます。 すると 「いやー、花月(かげつ)という少年がいてですね、面白い曲舞(幸若舞の母体になった舞)を披露するんですよ! あ、噂をすれば花月! ちょっと見ていてください」 と門前の人は花月を呼び寄せて、一緒に小歌を謡います。その後、花月は、桜の花を踏み散らす鶯を弓で射ようとしますが、仏教の殺生戒だから、やめてという言葉に従い、思いとどまります。 さらに、門前の人の勧めで、花月清水寺の由来にまつわる曲舞を舞います。

その様子をずっと見ていた僧侶は、「あ、この子(花月)は、自分の息子だ!」と確信し、自分が花月の父だと名乗りをあげます。 驚く花月。喜びの父子対面を経て、花月は、7歳で天狗にさらわれてからの旅路を、舞で披露し、父と一緒に、仏道の修行の旅に出るのでした。

 

 

【男色ものとして読む】

 7歳で天狗にさらわれたというが実際は人攫いで、攫われたのちは、様々な芸事を教え込まれ、その中に春を売る行為もあったのではないかといくつかの論文で指摘されています。

細川涼一「稲垣足穂と「花月」」によれば、「花月」の稚児男色について画期的な論を展開した人物として、徳江元正(※)の名を挙げ、彼の論として

 

すなわち、美少年花月は、清水寺門前の者を「友達」と呼び、清水寺門前の者と肩を組んで「げに恋は曲者」との小歌を謡うのであるが、徳江によれば清水寺門前の者の素性は、花月の経済的な面を担当するマネージャー(支配人)であるとともに、この幼い芸能者を念者(男色関係にある者の年長者の側)として囲っていたのだという。そして、花月の父と名乗る旅僧は、真実の親なのかわからず、花月の「友達」であった清水寺門前の者から、やはり男色の対象として花月の身柄を買得したのであるという。

 

と述べています。

 

花月を引き取ったのが実の父であったのか、それとも身請けした者なのか。深読みするほどに怪しくなってきました。

 ともあれ、「父」に引き取られた後の、花月が、芸役者をしている頃より幸せな、人生を歩んでいることを祈るばかりです。

 なお、『少年愛の美学』でおなじみ稲垣足穂も「花月幻想曲」「取られて行きし山々を」などのエッセイで「花月」について繰り返し語り、1994年に立風書房からそれらがまとめられ『花月幻想』として出版されました。今は古本でしか入手できないようなので、興味がある方は図書館などで取り寄せて読んでみてもいいかもしれません。

 

※日本の国文学者、國學院大學名誉教授。 中世芸能が専門。

 

■引用資料

細川涼一(2000)「稲垣足穂と「花月」」『文学第一巻 第六号』p.163―166

 

 

■参考資料

花月/the 能.com】

https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_051.html

【能  花月

 http://junseikai.or.tv/old/kagetsu.htm

虫の音に惹かれ、友は逝った

松虫

 

【あらすじ】

 摂津の国、阿倍野の市の酒売りのところに、いつも大勢でやって来ては酒盛りをして帰ってゆく、不思議な若い男たちがいました。

 肌寒い秋の朝、いつものように男たちが酒を買いに来た時、「秋の風吹くこの季節、菊の花を愛で、暖め酒で友とのひとときを楽しもう。松虫の鳴きごえ尽きぬ秋の風情。いつまでも変わらぬ友こそが、市で得た一番の宝なのだ」といいます。

 酒売りは『松虫の鳴きごえに友を偲ぶ』といういわれを尋ね、男が次のように答えます。

 昔、この阿倍野の松原を二人の男が連れ立って歩いていた。松虫の鳴き声がして、一人が草を分け入りその音色を聞きに行ったがなかなか戻ってこないので、もう一人の男が探しに行くと、先の男は草の上に倒れて亡くなっていた。死ぬときは一緒と思って残された男が泣き悲しむがどうしようもできなかった、といいます。

 そして、その残された男こそ自分なのですと、男は消えてしまいました。実は男は、幽霊だったのです。

酒売りが常連客にさっきの話をすると、常連客はその二人を弔ってやればいいとアドバイス

 そこで酒売りは、秋の夜更け、男たちの弔いをします。するとそこにさっきの男が現れて、酒売りの弔いに感謝し、舞い踊り、やがて夜明けがやって来ました。

男の霊は「さらばよ友人」という声を残して消えてゆきます。あとには虫の音だけが残りました。

 

 

【男色ものとして読む】

 いうまでもなく、男色能(ブロマンス)として、有名な作品です。

 松虫というのは、今でいう「鈴虫」のことで、リーンリーンと鳴く声に誘われて、草に分け入った友人が、突然死んでしまい、彼を探しに来た友人がその亡骸を見たときの情景の淋しさに、切なくなります。死ぬときは一緒と誓いあっていた二人。あとから来た友人もその後すぐ死に(自殺でしょうか。日本書紀の「小竹祝と天野祝の話」に似ていますね)、二人は同じ塚に埋葬されたそうです(大阪にこの謡曲の許となった伝説にちなんだ塚があるそうです)。

 男色を扱っているのはもちろんなのですが、この曲に惹かれたのは、実は言葉の美しさです。

 

きりはたりちょう。きりはたりちょう。つずり刺せちょうきりぎりすひぐらし。いろいろの色音の中に。別きて我が忍ぶ。松虫の声。りんりんりんりんとして夜の声。冥々たり。すはや難波の鐘も明方の。あさまにもなりぬべき

さらばよ友人名残の袖を。招く尾花のほのかに見えし。跡絶えて。草ぼうぼうたる朝の原の。草ぼうぼうたる朝の原。虫の音ばかりや。残るらん。虫の音ばかりや。残るらん。

 

 リーンリーンと鳴く虫の音を残して、消えてしまう。どことなく秋らしい寂寥感を感じる作品です。

 

■引用資料

【名古屋春栄会/松虫】

http://www.syuneikai.net/matsumushi.htm

■参考資料

【銕仙会~能と狂言~/松虫】

http://www.tessen.org/dictionary/explain/matsumushi

勝手に男色能ダイジェスト

 

 男色能を探すうちに、いつの間にか能の中の美少年を探すようになっていたのですが、その作品群から、これは男色では…? という作品がいくつかあったので、ダイジェストで紹介します。個人的に思っているだけなので、解釈など違っていたらすみません。

 

【自然居士】

 イケメン青年僧が、身売りの少女を助けるお話ですが、場合によって少女が少年に置き換わる時があります。ということは、イケメン青年僧が美少年を助けるために、奮闘し、最後は一緒に都に帰る大団円。ときめきを隠さずにおれないです。

 

【春栄】

 捕虜となった弟を訪ねてきた兄。弟は兄の身を案じて兄ではないといいますが、最終的に兄だと認めます。兄弟が再会を喜ぶのもつかの間、弟が処刑されることに。兄は弟の代わりに処刑されるといいますが、叶わず兄弟もろとも死ぬことを決意。

 最終的に兄弟は助かります。互いを思う兄弟愛。なんと麗しいのでしょうか。

 

【仲光(満仲)】

 勉強をおろそかにした息子・美女御前。父は部下に美女御前を殺せと命じます。そこで、部下の息子・幸寿が美女御前の身代わりになって死ぬといいます。止める美女御前。しかし幸寿の決意固く、幸寿は身代わりに。

 話的には大団円しますが、幸寿という犠牲あっての大団円。美女御前の身代わりに死ぬ選択をした幸寿の心の中に、美女御前へのどんな思いがあったのでしょうか…。

 

【谷行】

 山岳で修行する物たちの掟の一つに、修行中に病気になったものは谷に生き埋めにするというものがあります。

 なれない修行で病気になった弟子が生き埋めに会う時、師匠は嘆き悲しみ自分も生き埋めにしろと訴えます。

 命を懸けたなんという師弟愛。最後は役行者に救われる大団円。師弟愛がお好きな方は萌えるのではないでしょうか。

 

鞍馬天狗

 遮那王を名乗っていたころの源義経が、大天狗のハートを射止め、大天狗は遮那王の教育係に名乗りを上げます。武芸、兵法、最後には奥義も余すところなく伝授される遮那王。けれどすべて受け取ったその時が、遮那王と大天狗の別れの時でした。

 稚児に恋した大天狗の、アガペーを感じずにはおれない作品です。

 

番外

狂言「文荷」】

『男色演劇史』で演劇の中から多くの男色作品を指摘した堂本正樹によると、能だけでなく、狂言にも男色作品があるといっています。

堂本は「老武者」「八尾」「文荷」の3点を挙げていますが、現在比較的見やすいのが「文荷」です。

主人に恋文を持たされた太郎冠者と次郎冠者が、恋文を竹に結びつけて担いでいくうちに、文を読もうと争い、破ってしまうという単純な話ですが、実は主人が恋文を書いた相手が衆道の相手(少年)で、男色相手に対する恋文を部下に揶揄られ、読まれ、破られるとは、私が主人だったら耐えられない! 主人目線で、文荷の演目を眺めていたら、笑いたいのに笑えない、そんな状態になりそうです(あくまで個人の雑感です)

 

 

■参考資料

【自然居士/the 能.com】

https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_074.html

【自然居士/銕仙会 能楽事典】

http://www.tessen.org/dictionary/explain/jinenkoji

 【銕仙会~能と狂言~/春栄】

http://www.tessen.org/dictionary/explain/shunnei

【仲光/銕仙会 能楽事典】

http://www.tessen.org/dictionary/explain/nakamitsu

【谷行/第十回若者能】

http://wakamononoh.jp/10/about.html

鞍馬天狗/the 能.com】

https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_025.html

堂本正樹(1970)『男色演劇史』薔薇十字社