はじめに
学生の頃、大っぴらに読める(当時の耽美小説は隠れてこっそり読むのが主流であった)太宰治や江戸川乱歩の同性愛を扱った作品が好きだった。
大人になって、文豪の耽美小説に接する機会があり、年のせいか、読んだ端から忘れそうになるので、自分の備忘録として、まとめたのがこの本です。
私的解釈が大いに入っているので、解釈違いなどあるかもしれませんが、心を広くして、最後までお付き合いいただければ幸いです
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太宰治「駈込み訴え」
「私はあなたを愛しています。ほかの弟子たちが、どんなに深くあなたを愛していたって、それとは較べものにならないほどに愛しています。誰よりも愛しています。」
申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。
から始まる、ある男の一人語りの物語。
知っている人は、冒頭少し読んだだけで、これが聖書に出てくるユダとイエスの物語と気づくし、気づかぬまま最後まで読んでも、ユダが自身で名乗りを上げているので、イエスとユダの愛憎の物語と知ることができる。
この物語でユダは銀貨30枚でイエスを売るにいたった経緯を語る。
イエスをペテン師だとけなし、それを支えるのに苦労してきたと訴える。
しかし彼が本当に訴えたかったのは師への愛だった。師を中傷していたはずなのに、途中から聞かれてもいないのに一方通行の師への愛をひしひしと訴える。
最後の晩餐でイエスの足を髪で拭ったマリアへの嫉妬も、感情がごちゃ混ぜになりすぎて、イエスへのものかマリアへのものか本人が判別できないほどになっている。素晴らしい愛執である。
師が哀れになってきて、師のために働こうと思い直すけれど、思い直したその時に、裏切り者として名指しされる。
その絶望と言ったら! 愛する者にそんな仕打ちをされたら誰だってもう憎悪ばかり募って、司祭たちのもとへ駆け込み、師を売ってしまおうと思ってしまうだろう。
事実、ユダは師を売り、銀貨30枚を手に入れる。しかし、ユダは金が欲しくて訴えたのではないと一度断る。復讐のためだと、言い切る。
成就しない愛がこんなにも悲しい。
冒頭引用した、「誰よりも愛しています。」という言葉の届かなさに切なくなる。
金。世の中は金だけだ。銀三十、なんと素晴らしい。いただきましょう。私は、けちな商人です。欲しくてならぬ。はい、有難う存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。
で物語は締めくくられる。
折角なので、「駈込み訴え」で語られなかったイエスとユダのその後を少し紹介する。
ゲツセマネの園で祈るイエスの許に司祭たちを引き連れたユダがやってきて、イエスに近づき接吻する。この接吻した相手こそイエスであるので、捕まえてほしいと事前に司祭たちに告げている。
ユダが最初で最後にできたイエスへの接吻が、裏切りの合図であるところがもうエモいのである。
近年見つかったユダの福音書では、イエスとユダはツーカーで、イエスが神の子になるために、ユダに一連の行動(裏切り行為)をさせ、ユダも了承して行った、という。正典として認められていないが、ユダのいろんな行動が腑に落ちるものでもある。
また、イエスが生きた時代、女性は階級社会の最下層で、奴隷同様であった。だから食事の席に入ってきて、その席の主人の足を髪で拭うのはユダでなくても驚いただろう。また、銀貨30枚は当時奴隷を購入できる金額でもある。
さらに余談だが、レオナルドダヴィンチの最後の晩餐の絵をよく見ると、イエスとユダの目線は交わらないのに互いの手は求めあっている風にも見える。
聖書を読んでいなくとも師と弟子の愛憎劇として面白いし、聖書を読んでいたら、さらに深読みができる。「駈込み訴え」は秀逸な短編なので、未読の方は是非ご一読願いたい。
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江戸川乱歩「孤島の鬼」
「……箕浦君、地上の世界の習慣を忘れ、地上の羞恥を捨てて、今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」
ミステリなのだ、ミステリなのだが、時折ミステリであることを忘れてしまいそうになるのは、諸戸道雄という壮絶なバックボーンを持つ美青年が箕浦金之助という美少年に死ぬまで翻弄されるからだ。
ちなみに作品自体は箕浦視点で語られる。
学生時代は諸戸に思われて、いい気分でいた箕浦だが、就職先で出会った初代と恋に落ち、結婚の約束をするも初代は何者かに殺される。
なぜ、どうして、どうやって初代は殺されたのか、その謎を箕浦は諸戸の力を借りて解決する中で、ある島に渡り恐ろしい体験をする。
同性愛作品だと広く世の中に知られている作品である。
また、長田ノオト先生や、naked ape先生、環レン先生でコミカライズされている。いろんな漫画家さんにコミカライズされている文豪作品というのは珍しい。
小説から読むのはちょっと、という方は漫画から入るというのも手だ(ただし、原文がエモいのでぜひ小説は読んでほしい)。
この作品で、何はともあれ、腐女子の情緒をぐちゃぐちゃにするのは、諸戸道雄である。
諸戸は同情を禁じ得ない壮絶な過去と秘密を抱えつつ、(箕浦のために)その運命に抗って、ひたむきに箕浦を想うのだが、その恋は決して実らない。実らないうえに、ちゃっかり箕浦に利用されまくるという。
箕浦は初代を失うが、代わりに秀ちゃんという美しい奥さんをゲットする。一方、諸戸は箕浦と迷い込んだ洞窟の中での決死の告白もうまくいかない。
有名な洞窟シーン
「嫉妬している。そうだよ。アア、僕はどんなに長い間嫉妬し続けて来ただろう。初代さんとの結婚を争ったのも、一つはその為だった。あの人が死んでからも、君の限りない悲歎を見て僕はどれ程せつない思いをしていただろう。だが、もう君は、初代さんも秀ちゃんも、その外のどんな女性とも、再び逢うことは出来ないのだ。この世界では、君と僕とが全人類なのだ。
アア、僕はそれが嬉しい。君と二人でこの別世界へとじ籠めて下すった神様が有難い。僕は最初から、生きようなんてちっとも思っていなかったんだ。親爺の罪亡ぼしをしなければならないという責任感が僕に色々な努力をさせたばかりだ。悪魔の子としてこの上生恥を曝そうより、君と抱き合って死んで行く方が、どれ程嬉しいか。蓑浦君、地上の世界の習慣を忘れ、地上の羞恥を棄てて、今こそ、僕の願いを容いれて、僕の愛を受けて」
(中略)
「アア、君は今になっても、僕を愛してくれることは出来ないのか。僕の死にもの狂いの恋を受入れる情なさけはないのか」
と言われて、なびかない男がいるの! と思うが、そこはBL小説とは違い、箕浦は流されてくれない。諸戸を拒絶し、しまいにはショックで白髪になってしまう。
事件は見事解決、二人も洞窟から抜け出すことができる。なんだかんだいっても箕浦は人並みの人生を歩むが、諸戸のほうは、事件の後、本当の家族のもとに身を寄せ、病に臥せって一月後に逝く。
「道雄は最後の息を引取る間際まで、父の名も母の名も呼ばず、ただあなた様の御手紙を抱きしめ、あなた様のお名前のみ呼び続け申候」
箕浦が諸戸を受け入れてあげていたら諸戸も違う人生があったのかと思うと、箕浦の魔性さに翻弄された諸戸が哀れでならない。
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室生犀星「お小姓児太郎」
児太郎は、頭を振って、きゅうに女のように笑うと、強う、弥吉の目をさし覗のぞいた。
「予がからだを自由にせい。よいか。」
髪結い弥吉は、稚児小姓児太郎に奉公している。
児太郎はサディスティックに弥吉に接して、背中を鞭うったりする。弥吉は児太郎が憎くなるのだが、児太郎の背のほうにもっと酷い鞭の後を見て、同情を覚えてか、児太郎のサディスティックな行動を受け止めるようになる。
だんだんサディスティックな児太郎に慣れてきた弥吉。むしろ凶暴な時こそ児太郎は美しいと、刺激を感じる弥吉はドMの気質が…?
時には耐えきれずに屋敷を抜け出そうと思うのに、未練があって屋敷にとどまってしまう。それを「檻詰めにされた優しいけだもののように、馴れるに従って卑屈になっていた」という。
ある日、「馬刺剣」を見つけた児太郎はその道具の用法「馬斃れんとするとき、それを馬の尻につき立てて気附する」行為を弥吉に対して行う。
そして、殿勤めはつらいのだと、心中を吐露する。
そのうち、児太郎の乱行は止むがそれと同時に殿勤めに呼ばれることもなくなっていた。児太郎の弥吉に対する嫌がらせは、自身が受けた殿勤めのストレス発散だったようだ。
お小姓は長くて三年。児太郎の顔にも薄い髭が生えかかっていた。そうして物思いにふける児太郎を呵責と折檻とから放された弥吉は復讐的な気分で眺めているのだった。
ある晩、児太郎の髪を上げていると、小姓仲間の大隅の話題が出てくる。児太郎と大隅と、どちらが劣るか聞かれて、返事に窮していると、久しぶりに児太郎が暴れるけれども、弥吉は児太郎のほうが劣ると答えた。
意外にも、児太郎からの折檻はなかった。
弥吉はこれ以上、この屋敷にいる気がしなく、次の奉公先を探し、翌朝、暇乞いをした。児太郎は黙ってそれを許した。もう、稚児袴も身に着けない児太郎を弥吉は冷笑して、屋敷を去った。
弥吉にあたったのは悪いと思うが、稚児小姓の花の短さ。その職務ストレスに同情を禁じ得ない
弥吉が屋敷を離れたのは、ひどい仕打ちをしてきた児太郎に対する復讐もあっただろうが、自分が恋した小姓が恋した姿のままでいてくれなくなったから、落ちていく姿を見たくなくて離れていったのかもしれない。
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堀辰雄「燃ゆる頬」
「これは何だい?」と訊いてみた。
「それかい……」彼は少し顔を赧あからめながら云った。「それは脊椎カリエスの痕あとなんだ」
「ちょっといじらせない?」
そう云って、私は彼を裸かにさせたまま、その脊骨のへんな突起を、象牙ぞうげでもいじるように、何度も撫なでてみた。彼は目をつぶりながら、なんだか擽くすぐったそうにしていた。
旧制高校の寄宿舎に入った主人公は、静脈の透いて見えるような美しい皮膚の少年・三枝と恋仲に。
夏季休暇で旅行した時に、三枝が見せてくれた脊椎カリエスの痕を何度も撫でるなど、こういうちょっとしたふれあいの描写にドキッとさせられる。
しかし、主人公は旅行中に出会った少女たちに関心を持って、少女たちが三枝のほうに注目すると、嫉妬からか、三枝への愛が冷めてしまう。
三枝と疎遠になり、ラブレターも無視するようになる主人公。やがて、三枝は死ぬ。
それから数年後、結核になった主人公は、サナトリウムで三枝に似た少年に出会う。彼の背にも三枝のと同じような特有な突起があった。それは主人公に衝撃を与え、恋心を抱かせるが、三枝に似た少年は、主人公の思いなど何も知らぬまま、退院してしまう。
という話が淡々とつづられている。
三枝をないがしろにしたことが、数年後、自分に返ってきてしまう周到な物語の運びである。
寄宿舎時代の主人公と三枝の姿をいつまでも眺めていたいと思うのは、何かの性(さが)だろうか。
私的近代文豪耽美小説紹介
はい、ここからは青空文庫に載っておらず、入手困難な作品もありますが、読んだら楽しい作品の紹介です。
■折口信夫「口ぶえ」
上級生に言い寄られている漆間安良は同級生の渥美泰造が好き。8月の下旬、渥美の滞在している京都の山寺を訪ねた安良は渥美と枕を並べて眠る。その時、渥美の「一人でええ、だれぞ知っててくれて、いつまでも可愛相やおもててくれとる人が一人でもあったら 今でもその人の前で死ぬ」という告白に、安良は渥美との心中を考える。 翌日二人は崖から身を投げ出す。
(ただし物語は完成稿ではなく続編が構想されていた。後編で二人がどうなったかは永遠に謎である)
■川端康成「少年」
川端康成の、少年時代を邂逅した、手紙、日記、雑文をまとめたもの。寮で同室の清野少年と毎晩抱き合って寝ていたなど(プラトニックではある)赤裸々に描かれている。
お前の指を、手を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。
僕はお前を恋していた。お前も僕を恋していたと言ってよい。
という何とも詩的な表現で、清野少年への愛を綴っている。
違う高校に進んだ二人の道は別れるが、清野から送られてきた愛情深い手紙は一読する価値がある。
■大手拓次「沈黙の人」
惣一は、吉川吉次という年下の美少年に片思いして、心血を注いだ恋文で告白するも、吉次はすでに宮田という男の恋人になっていた。
兄弟にはなれない、代わりに親友になろうと言われ、口惜しくて泣く。
惣一が吉次に恋をして五年が過ぎた。惣一はまだ吉次を想っていて、
どんなに吉次さんが変わろうが僕の心は永劫に変わらないと、惣一は心秘かに理解している。
淡い恋心を締めくくっている。
■倉田啓明「若衆歌舞伎」
浩と茂丸は仲良しの少年。本格的な花魁ごっこを楽しんだりする仲である。ある日、全身フル歌舞伎若衆に扮して、屋形舟に乗り込む。舟遊びを楽しみ、船頭たちを返した後、舟の中で同じ伽羅枕に頭をのせ横たわった。
香枕から立ち昇る伽羅の香は、魔楽のやうに二人の精神を溶かして、今にも身體の肉塊が、片っ端から飴のやうに溶けて流れるやうにおもはれ、その跡には只蝉の蛻のやうに、伽羅に煮籠せられた鬘や衣装だけ残るのではなからうかと怪しまれた。
という、耽美な表現が実に見事である。
■芥川龍之介「SODOMYの発達(仮)」
主人公、清が11歳の時、2歳年上の木村と友達になり親密になるうち、木村が手を握ってきたり首をなでたりする。
木村は「君 僕は君にLOVEしちやつた君はLOVEつて事をしつているかい え」と告白、性行為を求めてくる(最後まではしていない)。
清が中学1年の時、二級上の勝田と親しくなる。
ある日ある時二人で出かけたときに勝田が「OKAMAかせよ」と迫ってきます。押し問答の末に勝田と一線を越える清。回を重ねるうち、とうとう清は勝田のCHIGOになってしまう。
清が中学3年生の時、1級下の小泉という美少年を相手に欲望を満たそうとし、近づく。家に招き、二人きりで風呂に入り、小泉に「I LOVE YOU」とささやき、「僕のCHIGOさんになり給え」と迫る。最初は嫌がる小泉ですが、最終的に二人は男色の関係へ。
4年生から5年生になるとき、清は悪少年になり、グループをつくって複数人がかりで何人もの美少年を辱めるように。
ある時南という美少年を手籠めにしようとしているところに、南の姉が乱入。清は南の姉に手を出します。この時は未遂ですが、後日、縁日で南の姉と再会した清は彼女に付きまとい、露地の一つに入ったときに彼女をとらえ、手籠めにする。
(芥川の実体験に基づく話らしい)
■日下諗「給仕の室」
主人公は、同じ職場の鈍太(あだ名、本名は鈴木)のことを仲間と一緒にいじめるくせに、二人きりになると鈍太にすり寄り、頬に接吻したり、宿直の日に同じベッドで肌を密着させて寝たり、親密な風になりながら、同じ風呂に入って、またいじめたりする。
主人公がどれだけ鈍太を想っているかというと、
「鈍太、己れがこんなに、虐待(いじ)めるのは、何も御前が憎らしくてするのじゃないんだよ」
「鈍太、お前は己が好きか」
「苛めなければ好きかい」
という言葉をホイホイ相手にかけるぐらい好き(苛めに許しを乞うているようにも見える)。
主人公視点なので、鈍太が主人公をどう思っているかわかりかねるが、鈍太は拒むときは拒むけれども、流れに身を任せることのほうが多い。
なので、風呂に入り続けるのを拒みながら、主人公に引き留められて、風呂に入り続け、とうとう気を失う。
風呂場で、鈍太を失神させた主人公は鈍太に対する自分の感情がどんどん進んでいったら、しまいには本当に鈍太を殺してしまうかもしれない、という恐怖を感じ、話が終わる。
■山崎俊夫「雛僧」
ある寺に阿闍梨と雛僧(小僧)がいた。雛僧があまりに美貌すぎて阿闍梨はあまり外に出さなかった。阿闍梨は雛僧と肉体関係にあり、夜雛僧が寝てから夜の経典(雛僧命名)を見ていた。雛僧は阿闍梨が自分に決して見せてくれない夜の経典が気になり、阿闍梨が出かけている隙にそれを見る。経典でもなく、ただの春画であった。
最初は春画の世界に浸る雛僧だったが、こんなものが阿闍梨の寵愛を奪っていたと破り捨ててしまう。
阿闍梨が剃刀で雛僧の頭を剃っている時、雛僧に春画の事を訪ねる。雛僧は素直に破り捨てたことを告白すると逆上した阿闍梨は雛僧の喉笛を剃刀で切り裂き、指を落とし、内ももの肉を削いだ。
春画を破った罰として、死体を井戸に捨ててやると息巻く阿闍梨だったが、死体を部屋に運ぶと雛僧への愛着ばかりわいてきて、どうして殺してしまったのかと悔いる。
(なお、山崎俊夫はほかの作品でも美少年や同性愛を多く取り扱っている。本は入手困難だが、2022年以降、アトリエサバト館より電子書籍が出る予定)
■岩村蓬「鮎と蜉蝣の時」
第二次世界大戦前夜、美少年の伊賀は最上という上級生の目に留まり、競技部に入る。そして最上に誘われ二人は兄弟分になる。
仲よくしていた二人だが(キス未満や肌の接触など)、最上が誰からか注意を受け、それ以降、最上の態度がよそよそしくなる。最上との仲が不明瞭なまま、競技部で力をつけていく伊賀。
ある日、伊賀は肺炎で寝込んでしまう。見舞いにやってきた最上は親密な態度で伊賀を布団に押し倒す。
最上の真意がわからぬまま、最上は卒業して金沢へ行く。時が過ぎ、金沢から帰省した最上を訪ねると、恋人の写真(最上によく似た女性の写真)を見せられ、結婚するのだと告げられる。
最上に裏切られたと傷つく伊賀。結核かもしれないこともあって自暴自棄になる。最上の後、伊賀と兄弟分になりたい粕谷が伊賀を励ます。結核は誤診だった。
第二次世界大戦も深まり、学校は軍国主義に染まり、競技部の仲間たちも次々出征していく。
戦後、伊賀は生きて日本に帰り、島という先輩に再会する。島は仲間の様子を伝えてくれた。生きたものもいたが、最上も粕谷も戦死していた。
島は、最上が特攻で死ぬ3日前、会話したという。『此の世に唯一人の弟として伊賀を愛し、それゆえに彼から自分を遠ざけねばならなかった』と伊賀について語っていたと。
伊賀は島と共に最上の家に行き、最上の姉に会う。最上の姉は、あの日最上が見せた写真そのままの人だった。
最上の姉は言う。
最上は伊賀を大事にしたかったが、目をつけられてよそよそしく振舞うしかなかったこと、恋人も嘘で、あれは自分(最上の姉)の写真だったこと、もし伊賀が金沢まで最上を追ってきてくれたなら全部話すつもりでいたこと、その時は一緒に立ち会ってくれと言われていたことを。
全てを知った伊賀は、最上の仏前で、腹を切るような顔をしていた、と島に言われる。
伊賀は心の中で答える。それは愛する人と、その人と生きた熱く、切なく、短かった透明な時を慕っての殉死の儀式だったと。そして自身の再生の儀式でもあったのだと。
現代の学園ものでも通じるのではないかという読みやすさと、戦争という悲しい現実が兄弟分を引き裂いた切なさを感じさせる作品。
■福永武彦「草の花」
「私」はサナトリウムで汐見という患者と同室になり、交流する。どこか冷めたような汐見に惹かれるが、汐見は無理な手術を自ら望んで受け、死んでしまう。汐見の枕元から2冊の日記が出てきて、「私」はそれを読む。
汐見が18歳の時、藤木忍という少年を愛していた。しかし藤木は見返りを求めない愛すら拒み、数年後、19歳で夭折する。
24歳の時、藤木の妹の千枝子を愛するけれども、キリスト教を信仰していた彼女もまた汐見の愛に応えることなく、汐見は招集され、千枝子と別れる。
汐見の死を「私」は千枝子に手紙で知らせる。季節がいくつか過ぎた後、千枝子から返事が届く。実は彼女は、汐見を愛していたが、汐見が見ているのは自分ではなく死んだ兄だと気付いていて、愛に応えられなかった。汐見の愛を彼女は、夢見る愛で、現実的ではなかったという。
■木下杢太郎「船室の夜」
立石英一は、故郷へ帰る船の中で、自身が堕落していった中学生時代を回想する。
小学校の頃は秀才であったのに、故郷和歌山を出て、東京の中学に入り、美少年・井上宋造と出会ってしまった。彼を想うあまり、勉学がおろそかになり、落第し、堕落への道をひた走る。井上と仲良くなるも、その縁は続かず、二人は離れていく。
参考・引用文献
■青空文庫
- 太宰治「駈込み訴え」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/277_33098.html
- 江戸川乱歩「孤島の鬼」
https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57849_71930.html
- 室生犀星「お小姓児太郎」
https://www.aozora.gr.jp/cards/001579/files/55136_53582.html
- 堀辰雄「燃ゆる頬」
https://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4814_14374.html
『炎の蜃気楼 番外編 真紅の旗をひるがえせ』 集英社コバルト文庫 桑原水菜 2003
『ユダの福音書を追え』日経ナショナルジオグラフィック社 ハーバート・クロスニー 2006
『原典・ユダの福音書』日経ナショナルジオグラフィック社カッセル,ロドルフ他 2006
『川端康成全集 第10巻 小説10』新潮社 1980
『稚兒殺し』龜鳴屋 倉田啓明 2003
『山崎俊夫作品集 中巻 神経花瓶』 奢灞都館 1987
『草の花』新潮社 福永武彦 1956
『木下杢太郎全集 第六巻』岩波書店 1982
『耽美小説・ゲイ文學ブックガイド』白夜書房 柿沼瑛子・栗原知代編著 1993
なお、本書刊行にあたり、ツイッターでA.Fさん(@AprilFoolDays)、近似ニアリーさん(@nearly0)、なるみさん(@naruminarumia)から多くの示唆をいただいた。この場を借りてお礼申し上げます。
もうちょっと濃いのは↓
todoroki-megane.hatenablog.com