メガネの備忘録

文豪の人間関係にときめいたり、男色文化を調べたり、古典の美少年を探したりまったりワーク。

古典BL(男色文化)をしらべるわけ

中学の頃から、一時創作の耽美JUNE→商業BLと二次創作のやおい→二次創作BLをたしなんでいたが(高校生の時は知人に借りて毎日1冊BL小説を読んでいた)、やがて語り合う仲間もいなくなり(ほぼ皆卒業し)、個人でまったり読んでいたけれど、最後にはまっていたやくざものが同じような展開が多く、フレッシュな何かを求めていた。
そのころに出会ったのが、大竹直子先生の同人誌で(恥ずかしながら書名を忘れた)、戦後のカストリ雑誌に投稿があった、兵士同士の同性愛を扱ったほぼ実話のソドミア通信が紹介されていた。
それを読んだ時、目からうろこがぽろぽろと。
いや、現実は小説よりも奇なりです。しょせん私がたしなんでいたBLというものは、ファンタジーでしかなかったなと、その時思った。
それからしばらく商業BLから遠ざかっていましたが、江戸BLが素晴らしいということで、『百と卍』という漫画に出会い、そこからなぜか、『男色大鑑』にたどり着き、KADOKAWAのコミック版『男色大鑑』をむさぼるように読み、若衆研さんにたどり着いて、男色大鑑関連のトークイベントや、男色大鑑の演劇を見る機会があった。
BLも卒業かと思っていた矢先の男色との出会いである。
BLは私の中ではファンタジーだが、男色はれっきとしたカルチャーだ。
だから、作品を調べると、書かれた背景などが浮かび上がって面白い。例えば近代文豪がブロマンス調の本を書いていたら、その裏には作者の体験が潜んでいることもあったし、室町時代に成立した稚児にまつわるお伽草紙を紐解くと、天台宗にひそかに伝わる秘儀にたどり着いたりする。
今の私は学生時代よりも、文献をあさり、本を読んでいるかもしれない。
少々つらいのは、文献が出版されて相当年数がたち、入手しづらいこと、逆に著作権が切れるまではいかず、図書館での複写の範囲が狭まる事などがある。

これを調べて何の意味があるのかは、よくわからない。
でも、興味本位で調べるということは、往々にして、そういうものではないかと思う。

 

いちど切れたホモソーシャル本とのかかわりが、古典を通じて復活するのは、はてさて何の因果かと。

 

最近調べものに意味があるのかどうかわからなくなってきたので、意味などなくても楽しければいいのだと再確認するために、この記事を残しておきます。はい。