メガネの備忘録

文豪の人間関係にときめいたり、男色文化を調べたり、古典の美少年を探したりまったりワーク。あくまで素人が備忘録で運用してるブログなので、独断と偏見に満ちており、読んだ人と解釈などが異なると責任持てませんので、転載はご遠慮ください

BL(男色)の香りがする狂言「老武者」「八尾」「文荷」のご紹介

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いくつか、男色(BL)臭のする能の演目を紹介しましたが、先日参加した若衆研さんの講座で狂言にも男色の香りがする作品を教えてもらったので、紹介します。

 

稚児を取り合う若衆と老武者が…
「老武者」

高貴な身分の稚児がお忍びで藤沢の宿に泊まったところ、稚児に会わせろと若衆(男色大鑑の若衆ではなく、若者という意味)がやってきます。宿の主は断りますが、なし崩し的に宴会をはじめます。そこに老人も稚児と杯を交わしたいとやってきて、若衆と言い争いに。老人は仲間を連れてきて(老武者)、両陣営は乱闘に(色っぽいことにもなりつつ)。
最後は稚児のお目付け役が両者をおさめて、稚児はその場を離れます。

 

閻魔を尻に敷く地蔵
「八尾」

極楽に死者を取られすぎていて、困窮していた閻魔が地獄の辻で八尾の亡者に出会います。亡者は地獄行きの罪人でしたが、八尾の地蔵からの文を持っていて、その文には亡者は地蔵のスポンサーなので極楽に送ってほしいと書いてありました。
地蔵からの恋文に、閻魔は逆らえず、亡者を極楽に送ります。

 

主人が稚児(恋人)に送った手紙を破ってしまった部下たち
「文荷」

主人が稚児(恋人)に書いた文を届けるように命令された部下二人。運ぶ途中で、文が重いと、文を途中で開け、しまいには破いてしまうという粗相をします。

 

がっつりくんずほぐれつという話はないのですが、稚児に若者からお年寄りまで群がったり、恋文送ったり、閻魔と地蔵が恋仲だったり、なにこれ、匂いたつ男色(BL)!

老武者と八尾は、デジタルアーカイブが残っており、国立能楽堂で見る事が可能なようです。
文荷はちょこちょこいろんなところで上演されていて、生の舞台で見る事も出来そう。
いつか見てみたいなと思います。

 

なお、あらすじは、堂本正樹氏の『男色演劇史』を参考しました。

児灌頂の研究 犯と聖性 感想のようなもの

稚児と稚児灌頂について調べ始めた時知った、『児灌頂の研究 犯と聖性』でいろいろ目からうろこだったので、感想のようなもの。

 

児灌頂の研究 犯と聖性

児灌頂の研究 犯と聖性

  • 作者:辻 晶子
  • 発売日: 2021/03/12
  • メディア: 単行本
 

 稚児灌頂とは、天台宗で行われていた儀式で、稚児と呼ばれる少年を「稚児灌頂」という儀式を通じて聖別し(仏の化身とみなし)、灌頂を受けた稚児は、僧侶の性的行為の対象とするものだそうだ。
しかして現代では、pixiv百科事典を引用するが、「日本の坊主が性欲を慰めるため美少年の稚児と交わるいい逃れの為の儀式」といった認識が主流であり、そもそも稚児灌頂の儀式が本来持っていた聖性が見失われている。

この稚児灌頂の儀式を世に知らしめたのは、今東光氏の『稚児』という小説。

そのなかで引用された、『弘児聖教秘伝私』が儀式を伝えるキーとなるが、長らく秘本となっていたため、原典が解読されず、今東光氏の『稚児』の内容を、写したものを稲垣足穂三島由紀夫が広め、曲解されていったようだ。

本書では、『弘児聖教秘伝私』を中心に、いくつかの類似経典を挙げ、児灌頂の儀式の聖性を再確認し、また同時に、稚児に対する「犯」の概念が儀式時には見当たらず、「犯」の思想を持って「児を犯す」という性的儀礼といった解釈は、儀式の本来の姿に則さないのではないかと指摘、稚児灌頂の目指すところは性の実践ではなく、観音の顕現であるという。
灌頂の儀式と、その夜に行われた寝所の作法を別のもの解釈すべきなのだろう。

決して儀式が「日本の坊主が性欲を慰めるため美少年の稚児と交わるいい逃れの為の儀式」ではなかったことを伝えている。

個人的に稚児灌頂の儀式のやりようが美しいなと思ったので、一部引用しますp.43

 

 本尊念誦として観音の真言を千回のうち五百回を誦したところで、教授(教授阿闍梨。受者を場内に導き、作法進退を教える者)が、大口袴(下袴)のみを着した児を道場に引き入れる(「行法ノ正念誦ノ時 本尊ノ念誦千反ノ内ニ五百反過テ有ン時 教授受者児ハ大口計ニテ引入可為」)。阿闍梨は無所不至印を結び念誦を行っているが、受者引入の時には本三昧耶印を結ぶ(「印相ハ無所不至印ニテ可居 受者ノ児引入時ノ印明本三昧耶印明也」)。
入堂した児は、座具を広げて三礼する(「受者児座具ヲノヘテ三礼ヲ可為」)。児は、手や身に香を塗ってけがれを除き、五大願を唱え、護身法として入仏三昧耶などの印を結び、真言を唱える(「先塗香サセテ五大願 其後入仏三昧耶印明七反 法界生印明三反転法輪印明三反次無所不至印明三反」)。
阿闍梨は児に楊枝を与え、誓水を飲ませる(「受者児ニ阿闍梨楊枝ヲ出セ其後誓水可呑ス」)。筆に鉄漿水を含ませ、児の歯に三度つける。その後は、教授師に従って児自身がつける(「フテヲ取テカネニソメテ三度付サセハ教授従テ其後ハ付サスヘシ」)。
児は、教授師に口を拭かれ、眉を描き化粧を施され、装束と天冠を着けて児姿となる(「其後教授口ヲノコワセケシャウラセサセテ眉ヲ取テ装束ヲ可服 又天冠ヲモ着サセ」)。

また本文だけでなく、巻末の膨大な資料は、稚児灌頂の資料としてこの上なく有益であり、見ているだけで圧倒される。

 

専門書のため、高価だが、稚児について知る最新の貴重な資料なので、その分野に興味がある方は買うことをお勧めする

 

ちなみに、いま、稚児物語をいろいろ読み進めているが、稚児たちは僧侶なら誰でも彼でも相手をするかといえばそうではなく、きちんと和歌の交わし合い、互いの気持ちを確認しながらも、自身が灌頂を受けた僧侶に対する義理(だろうと思う、たぶん)から相手を振ったりすることもあるので、誰もが稚児の恩寵を受けたとはどうも考えにくいなというのが個人的感想です

 

これからの古典の伝え方 西鶴『男色大鑑』から考える を読んで

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畑中千晶先生の『これからの古典の伝え方 西鶴『男色大鑑』から考える』を拝読しました 

これからの古典の伝え方: 西鶴『男色大鑑』から考える
 

 男色大鑑のコミカライズの解説の依頼が来たことをきっかけに、男色大鑑と現代のBLとの親和性を感じ、西鶴研究者の方々と、BL世代が読みやすい男色大鑑の現代語訳版を作る過程と、それが出来た先に起こったトークショーや、NHKの番組や、演劇化などのアダプテーションをとても分かりやすく描いています。
また、著者が名前しか知らなかったBLの世界に飛び込んで、『囀る鳥は羽ばたかない』に感銘を受け、男色大鑑と『囀る~』の共通性を見出したりするところは、やはり文学者の視点だなと興味深く拝読しました。

男色大鑑はいわゆる黄表紙的なものだと思っていたのですが、畑中先生らの手掛けた男色大鑑の現代語訳版があまりに自分たちの世代に親和性のあるBLの形をとってくれていたので、すごく身近に感じましたし、読みやすかったことを思いだしました。
今回、本ができる裏話を知ることが出来て、面白かったです。

 

 

全訳 男色大鑑〈武士編〉

全訳 男色大鑑〈武士編〉

  • 発売日: 2018/12/17
  • メディア: 単行本
 

  

全訳 男色大鑑〈歌舞伎若衆編〉

全訳 男色大鑑〈歌舞伎若衆編〉

  • 発売日: 2019/10/21
  • メディア: 単行本
 

 

古典BL(男色文化)をしらべるわけ

中学の頃から、一時創作の耽美JUNE→商業BLと二次創作のやおい→二次創作BLをたしなんでいたが(高校生の時は知人に借りて毎日1冊BL小説を読んでいた)、やがて語り合う仲間もいなくなり(ほぼ皆卒業し)、個人でまったり読んでいたけれど、最後にはまっていたやくざものが同じような展開が多く、フレッシュな何かを求めていた。
そのころに出会ったのが、大竹直子先生の同人誌で(恥ずかしながら書名を忘れた)、戦後のカストリ雑誌に投稿があった、兵士同士の同性愛を扱ったほぼ実話のソドミア通信が紹介されていた。
それを読んだ時、目からうろこがぽろぽろと。
いや、現実は小説よりも奇なりです。しょせん私がたしなんでいたBLというものは、ファンタジーでしかなかったなと、その時思った。
それからしばらく商業BLから遠ざかっていましたが、江戸BLが素晴らしいということで、『百と卍』という漫画に出会い、そこからなぜか、『男色大鑑』にたどり着き、KADOKAWAのコミック版『男色大鑑』をむさぼるように読み、若衆研さんにたどり着いて、男色大鑑関連のトークイベントや、男色大鑑の演劇を見る機会があった。
BLも卒業かと思っていた矢先の男色との出会いである。
BLは私の中ではファンタジーだが、男色はれっきとしたカルチャーだ。
だから、作品を調べると、書かれた背景などが浮かび上がって面白い。例えば近代文豪がブロマンス調の本を書いていたら、その裏には作者の体験が潜んでいることもあったし、室町時代に成立した稚児にまつわるお伽草紙を紐解くと、天台宗にひそかに伝わる秘儀にたどり着いたりする。
今の私は学生時代よりも、文献をあさり、本を読んでいるかもしれない。
少々つらいのは、文献が出版されて相当年数がたち、入手しづらいこと、逆に著作権が切れるまではいかず、図書館での複写の範囲が狭まる事などがある。

これを調べて何の意味があるのかは、よくわからない。
でも、興味本位で調べるということは、往々にして、そういうものではないかと思う。

 

いちど切れたホモソーシャル本とのかかわりが、古典を通じて復活するのは、はてさて何の因果かと。

 

最近調べものに意味があるのかどうかわからなくなってきたので、意味などなくても楽しければいいのだと再確認するために、この記事を残しておきます。はい。

 

1979年7月号さぶ 林月光 月光仮面劇場 朱に交われば

こんにちは。メガネです
久しぶりに雑誌さぶを入手しました。
載っていましたよ、林月光氏による月光仮面劇場!

 

朱美という少年について、

彼をモデルに彫刻を作る彫刻家、新聞配達の猛少年、朱美自身によって語られるというお話です。

 

この文字をクリックして、画像を見る

林月光 月光・仮面劇場

林月光 月光・仮面劇場

林月光 月光・仮面劇場

林月光 月光・仮面劇場

 

近代の男色っていったいどうだったの!?『井上みなと著/明治・大正・昭和の男色』のご紹介

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こんにちは、メガネです。
男色大鑑や稚児草紙などのおかげで、古典の男色にはやや詳しくなったのですが、はてさて近代となると…。
腐の香りがする近代文豪小説にいくつか出会いましたが、その時代(明治・大正・昭和)の男色というのはどうだったのだろうかという謎を抱えていました。
それを作っと解決してくれたのが、ある日、九州男児先生ツイッターで紹介していた

『井上みなと著/明治・大正・昭和の男色』

です。


学生、軍人、華族の男色や、男色がらみの事件、稚児さんをゲットする方法やあまりに男色が横行しすぎてできた「鶏姦罪」の説明など、簡潔にわかりやすく説明があり、大変興味深く読みました。
男色が身近にありながら、それが性暴力を孕んだりなどして、罰せられたり、新聞の記事になったり。
井伏鱒二が教師に迫られて学校退学していたの知らなかった…。

紹介されている文献は、末尾に参照・引用文献として紹介があり、それを手掛かりに近代の男色事情にさらに詳しくなれそうです。

 

明治・大正・昭和の男色

明治・大正・昭和の男色

 

 

能といえば世阿弥! 世阿弥について知りたいときに読みたい「秘すれば花(大竹直子)」「ぜあ(雨瀬シオリ)」「華の碑文(杉本苑子)」の紹介

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こんにちは。メガネです。
能とプロレスを扱った壮大な家族の話、ドラマ「俺の家の話」でも出てきた、世阿弥
能の創始者の父、観阿弥と並んで有名ですが、名前だけ先行しすぎて、
世阿弥ってどういう人だったんだろうか…。と悩まれる方もいらっしゃるかも。
実は私もその一人でした。
というわけで、私が世阿弥について知るために読んだ本をご紹介します!

まずは美麗なコミックスで世阿弥足利義満の出会いを!
大竹直子先生「秘すれば花」 

秘すれば花 (キングシリーズ)

秘すれば花 (キングシリーズ)

  • 作者:大竹 直子
  • 発売日: 2008/11/28
  • メディア: コミック
 

 しょっぱなからBL持ってきましたが、何を隠そう世阿弥は将軍足利義満の稚児でした。よって、男色が出てきても何ら不思議ではないという。
このお話では、主人公・鬼夜叉(のちの世阿弥)が様式の色気を出せと父・観阿弥に命じられますが、その色気の出し方がわからない鬼夜叉。
同時分、他の猿楽一座の陰謀によって、狼藉者に捕まり、桜の木に縛られて、手籠めにされる鬼夜叉(のちの世阿弥)が行為の最中に、能の「花」に開眼するというお話です。
ちなみにこの時の狼藉者の正体が又! 先生演出が憎い! となります(kindleで配信中)。

世阿弥の懊悩を描く読み切り作品
雨瀬シオリ先生の「ぜあ」

 

 お次は、『ここは今から倫理です』などで有名な雨瀬シオリ先生の書下ろし作品「ぜあ」。
19歳の世阿(世阿弥)は日に日に衰えていく己の美貌とは逆に50を過ぎてもなお、面をかぶれば可憐な少女を舞台上で演じられる父を恐れています。
足利義満観阿弥、面打師の弥勒は、みんな世阿を買っていますが、本人が気づいていません。(観阿弥などは直接褒めないので、余計に世阿が負のループ)。
情念が顔に出すぎていて(その顔が美しすぎて)、直面(面をつけないこと)は難しいと判断する観阿弥。一人、失われていく美を恐れて絶望し、役者の苦悩の地獄に身を置く世阿弥
なにこれ、観阿弥がいなくなった後、どう立ち直っていくのかむっちゃ読みたいので、続編希望です。はい。
(雑誌のバックナンバーがkindleで入手できるとはいい時代です)

 

世阿弥の生涯を知ろう!
『華の碑文――世阿弥元清』(中公文庫)

 

華の碑文―世阿弥元清 (中公文庫)

華の碑文―世阿弥元清 (中公文庫)

  • 作者:杉本 苑子
  • 発売日: 1977/08/10
  • メディア: 文庫
 

 はい。こちらは小説で、世阿弥の生涯を描いた作品です。上記2作のまんがで興味が出てきたら、手を出すといいと思います。

世阿弥の弟視点で描かれる世阿弥の生涯。
猿楽の一座の観世座が独自の舞踊「能」を作り、将軍に気に入られ、スターダムにのし上がりながら、観阿弥の突然の死、政変、流刑、など様々な苦難を乗り越えて、世阿弥が生涯を賭して、能を完成させていくまでが鮮やかに描かれています。

世阿弥の生涯を知るには最適な本だと思います。

 

番外編
これからが楽しみ! 
世阿弥の「身体」に」没頭する物語「ワールド イズ ダンシング」 

 モーニング2021年17号から連載が始まりました、三原和人先生の「ワールド イズ ダンシング」。
こちら、世阿弥が少年のころから物語がスタート。人の身体は舞うための形ではない、舞など見て何が楽しいのかと、芸事に不信感を持つ少年が、ある日ある女人の舞う姿を見て、「よい」と感じ、その「よい」理由を探す物語のようで、今後の展開に期待が持てます。

連載が続きそうなので、楽しみですね!

 

いかがでしたか?
世阿弥このまま人気が出て、大河ドラマとはいかないまでも正月ドラマぐらいになったらいいなーと思うメガネがお届けしました。