メガネの備忘録

文豪の人間関係にときめいたり、男色文化を調べたり、古典の美少年を探したりまったりワーク。あくまで素人が備忘録で運用してるブログなので、独断と偏見に満ちており、読んだ人と解釈などが異なると責任持てませんので、転載はご遠慮ください

泉涓太郎作品集「象徴編」通販開始のお知らせ

こんにちは、メガネです。
猫の糖尿病もやや落ち着いて、注射を家族に託し、
内輪の会に参加すべく、東京に泊りがけで出かけていました。
ノープランだったのですが、銀座いったり金土日館で艶っぽい平賀源内見たり

オカマルトさんでお茶したり、国会図書館で「あいつ」をひたすら眺めたりと
結構頑張っていたと思う。
次の日は浅草雷門を見ました。はい。

 

2024年に上梓した、『泉涓太郎作品集「蠍・鬱金帳」編』に引き続き、
『泉涓太郎作品集「象徴編」』も作ることができました、

資料を提供くださった、山中剛史さま、酢豆腐さま、誠にありがとうございました。

収録内容は、
「官能錬金術」『象徴』一巻一号 象徴社 昭和2年8月

「人魚物語」『象徴』一巻二号 象徴社 昭和2年9月

「望遠鏡」『象徴』一巻二号 象徴社 昭和2年9月

「首」『象徴』一巻三号 象徴社 昭和2年10月

「フアウストの最期」『象徴』一巻三号 象徴社 昭和2年12月

「髷」『象徴』二巻一号 象徴社 昭和3年1月

「火焰の馬」『象徴』二巻一号 象徴社 昭和3年1月

となります。コラム、小説、翻訳が混ざっていて、悪魔率が高いです。はい。

 

ちょっと引用しますと

官能錬金術


――われは、空しきこと水晶のごとくなるを願ふ。 オノレ・シユブラツク

 かれと女と家来たちと犬と猫とは、とてもとても高い、ずんと聳えて悲しげな所に棲息してゐた。かれらは、何万何千何百階ぐらゐもある天辺(てつぺん)に巣食うてゐた。雲雀蝕歯(むしば)の類よりも、きりきり遥かな、塩つぱく寂しい環境であつたのである。かれは、博士と自称してゐる。人文学博士か、千里眼山師のたぐひか、社会科学の先生なのであるか、それともあの青白める蛤の病夢である文学の秘密をきはめてゐるのだらうか、一通りではわからないのだ、けれども、分を楽しんでゐる正直な夫婦者の召使ひは、かう囁きあつたものである。

 ――うちの旦那様は、何か透明式のものを錬金していらつしやるやうだね。ひどい事がございませんやうに。

 その実、かれらには、錬金術などと云ふ高等な化学の意味が知れるはずでもないのに。女は、十五の春秋ばかりの子供女房であつた。いや、女房と呼ぶ権利はない。なぜならば、自称博士は家来どもに厳命して、彼女をば「あの人」と申しあげるやうにと云ふのであつたから。恋人でもなけらねば、きやうだいでもないとすれば。だが、友だちの妻君の妹と云ふのでもなかつた。一種ふしぎで、なまめかしい女性的系瘤であつたらしい。殊にも、彼女の乳首(ちくび)のゴム質は、夏のはじめの莓の淫乱さに、ミルクの無智を溶きぬるめたやうであつた。この娘の鼻の曲線が、ぱななのやうにおつとり凹んで、うすら青みをなえなえしてゐた。

 かかる高みの城廓的気格の住居へは、ぶんぶん蜂も、牡鶏あかつきを告げる声も、なにもかも、響いて来るのを見あはしてゐた。ただ、耳を貝殻のやうに澄ませてをれば、かすかに渚を嘗めずる波の親指の悪戯のやうな物音が、しぜんに洩れのぼる由もあつたらう。たとへれば、時計的機械のほかにも、宇宙の分秒をきざんでゐる妖怪じみた霊魂の職能がうごくのを聴知するやうに。

 

人魚物語

むかしむかし、この国に、一人の作者がございました。

 ほかの物語作者と同じく、やはり細藺(ほそゐ)のやうな手の指と海豚(いるか)のやうな目つきをしてゐましたが、どんな頭の気まぐれな作用ですか、途方(とほう)もない不思議滅法の話をつぎつぎに作りあげては出版して、また奇体にも、たいへん人気を煽り立ててをりました。が、商業仲間の評判はむしろ悪く、さる尊信すべき御隠居のお裁(さば)きによると、――あれはニセモノである、大法螺である、少しも論拠のない出鱈目である、と申すことでありました。

それは兎に角、この男の智恵袋は、ビツクリするほどな化物屋敷。その筆力は、おとぎばなしに用ゐられる魔女の杖にもくらべられませうか。

 人を嘗めたみたいな草鞋(わらぢ)虫の踊り、東西豆法師の脊びく競争、キリン海坊主のあられもない馬鹿騒ぎなど、自由自在に小説の頁(ページ)を塗りつぶし変幻して、面白いとなれば、こんなに読みごたへのある書物は、さうざらに売つてゐるものでありません。

 かれのペン・ネイムは幻奇楼主人と申しました。

 けれども、このレキとした雅号をさしおいて、世俗呼んで人魚先生と仇名しました。つまり、得意中の得意、十八番随一の玉手箱が、人魚のお話でございましたから。鱶のやうにこはい人魚娘のソフイ嬢は、人肉を歯で鋸(のこぎ)りました。伊達者が上衣の隠しに蓄へる、愛玩用の赤んぼもありました。ごく巧みにギタルラを鳴らせる不良少年もをりましたし、……これまで採集した人魚の姿は、二十三種の上も積つてゐましたらう。

 ――幻奇楼みて来たやうにウソを云ひ!

 そんな川柳さへ、いたづら者の間に行はれましたほど、かれは頗るの詩的気魄に富んでゐたのですが、ああ! よい事は二つなく、夫婦仲が不都合にあやしかつたと申します。

 

望遠鏡

▼濱キン(石濱金作のことです)の小説にしろ、論文にしろ、まるで酔うたんぼのクダだ。見本。――キンタマなのよ。それがね、つかんで見るとラムネの玉だつたのよ。ラムネの玉とキンタマを間違へるなんて、不思議で神秘で怪しいわネ。ではなくて? でもね、アンタのは駄目え――よ。おほほ………云ふ調子だ。嘘だと思ふ者は、新橋駅附近、洋行談などを読みなさい。じつに、ナツチヨラン〳〵! 大体、おれはあの助平衛野郎が生理的に不愉快なんだ。りくつはなくても、とにかく全く以ていやなんだ。文句があったら、やつて来い。

 


紀元二千五百二十年の春であつた。

江戸浅草奥山や両国回向院境内に根城をおいて、安政二年如月(きさらぎ)以来、異国島めぐり、義士水滸伝東海道五十三次などあまたの生人形に、ふしぎな著想の世界と技力の凄凛とを瓦版はやり唄にまで讃められた松山浪之介は、時代趣潮の移りのためにあやふく下火になりかけてゐる生人形の見世物を、昔のらんまんたる花盛りに育てもどすべく、今度浅草観世音の開帳に乗じて、一世一代の興行を志すのである。

腕がたき秋山平十郎は、ぜんまい仕掛けの妙手竹田縫殿之助を同志にひき入れて、阿蘭陀渡来の機械応用と誇号する人形の製造にいそがしい。かう云ふ噂は、名人肌の伝統の血をついでゐる浪之介には、なんだか厭味(いやみ)なものに聞えるのである。「邪宗門まがひの手管(てくだ)で見物衆の目をだまをくらかす。――そんなのは日本人の仕事ぢやねえ。あやしげな機関なしでは、ほんたうに活きて働く体が工夫できぬやうな細工人は、われわれ仲間の恥さらしである。」

けれども正直に云つてしまふと、かれの胸にも、うすうすは不安な雲の色が往来した。世間の男女に、腕の力いつぱいで練りあげた作物が、さうしてこまかな味の隅から隅にりつぱに描象した人形のすがたや勢ひが、それだけの効果をじゆうぶん合点(がてん)してもらへるか知らん。なぜと云へ、刺戟の灰汁(あく)のしぶとさに全く敗られて来た江戸人の官能は、もう一流の庖丁がきざむ美味の暈影(ニユアンス)には飽いてしまつてゐるのだから。

かれは弟子たちを督励する。むしろ叱りつけるばかりなのである。憂鬱な植物の葉のやうに、その癇癖は触れるものの神経に、ぴりぴりと青くふるへる。その上かれは古今未曽有の大作に苦しんでもゐた。

ここに一番弟子幻之介(げんのすけ)のうけもちは、「河端の殺し」である。本所深川あたりの御家人(ごけにん)くづれが下町娘の喉に一太刀いれて、この傷を命に悩ましい女にとどめを刺さうとする美相(びそう)の武士の刃には、赤い仮面のやうな月の魅惑に罪悪の花が燃えいぶるのである。娘の顔のあらはしかたがむづかしかつた。

 

まだ斬髪令の出ない時分の、うららかな春のお昼であつた。

 お殿さまは、いつも、庭の八重樹にうらはづかしい日射しが血潮を燃やして、花弁のひとひらひとひらは娘のをぼこい耳肉(じにく)のやうに色めく時分、やうやくお目ざめになる。縁端(えんばな)のゆたかに日の照るところで、手鏡の湖(うみ)へぬうつと顔をうつされる。お顔はのどかで贅美で、そのくせ犯しがたい威量がある。鼻すぢは魚(うを)の脊(せな)の青みが凛として、これはまた臙脂(べに)にまぶれてゐるやうな唇のかはゆらしさ。目の角(すみ)に張りはあつても、黒睛(くろめ)がぱつちり笑つてあどけない。釉(くすり)をひいたやうな月代(さかゆき)をなでてから、元結をきゆつと噛ませた髻のへんの男ぶりを何かしらん己惚(うぬぼ)れてみたい。それがどうして悪からうか。鬢づけ油でいためたり、ねりつぶしたり、まとめたりした髷は、毛束の先も羊羹の切口にふれるやう。

 ――これよ、煙管(きせる)をもて!

 ――御前(ごぜん)、うぐひすはもう鳴きますまい。

 うららかな春のお昼であつた。さうしてお殿さまは遊歩にお出ましになる。器量じまんの御仁が、天下泰平のきものの裾をふんわりと捌いて、陽炎ちらめく派手つぽい道をおひろひになる。これが絵と云ふものでなければ、どこに美しい世界があらうか。

 ――むかうにまゐる異体の姿は何やつぢや。

 ――ええ、猿廻しめでござりまする。

 ――所望ぢやぞ。

 けものが舞うたり、はねたり、ころんだり、阿呆のやうな仕種をやりつくしやりのべる。お殿さまの顔は白くて桃いろで、しかも端麗で悠暢である。猿めの面は毛がなうて剥きだしで、むさくろしくて好笑に値する。ははは、たしかにをかしい。りくつ抜きのをかしみである。けれども、お殿さまは閑人(ひまじん)であるゆゑ、何かと拘泥しては論議をおもちやに弄(なぶ)らうとなされる。

 ――なぜ、猿めの面は赤いぞ。

 ――有史以来の赤でござりまする。

 ――むう! と声をのみこんだまま、それではお殿さまが、ぐんと一本、してやられたのでもあらうか。

 

フアウストの最期

もう一種類の幻想的女性がある、これを女仙と呼び、ラテン語ではストリイガ(吸血鬼)と書かれる。かれらは黒い罌粟の花神阿片より生れたのだ………

                  ジヤン・ド・マルクヴイユ

 

 魔法の室にこもつて、博士フアウストは再び学問に従つた。

 彼が契約書に署名してから、長年月がすぎ去つた。けれども、彼の本情に反して、悪魔は十三世紀の青春を彼に売つた。フアウストはもはや、この同じ実験室で腐敗した彎頸瓶(レトルト)の底に嘗ては錬金術の蘊奥を探つてゐた禿頭の襤褸をまとへる老人ではない。悪魔は約束をまもつた。ヨハン、フアウストは二十歳である、晴れやかな胴衣は朗金色の鬚の下にふしぎな位きらめいてゐる。たしかに、悪魔に投げあたへる前かれの十二分たんのうしたマルグリイトこのかた、あまたの女がその指々を、この若返つた鬚の間にさまよはし、その魂を悪魔のよみがへらせた眼差の愛撫する焰に燃やしたのである。

 竈では、真赤な炭火の上に、レトルトがもやもや煙る。玻璃製のもあれば、陶器のもある。ひび入つた頸と頸から、雑色の蒸気が湧きかへる。ちやうど、黒い煙突を色さまざまに染める地獄の空の虹のやうである。長い盤上に蘭(らん)引(び)きがごちやごちやして、呪はれた球類や羊皮紙も。絞首台木でできた棚の上、板硝子がレトルトの焰を反射し、まぢかには水の充満せる壺の深みで、燐が陰険なけちな火光をあげた。癩病やみの壁や、蜘蛛のいの絡んだ梁(うつはり)には、錆びた大きな釘が骨材に引つかかつて、流気のままに、あちこちでがちがち鳴る。博士は、赤ばんだ眼と疲労した顔色と、空しき魔法の書を閉ぢた。さうして今や、松脂らうそくの火影で、むかし悪魔のすわつてゐた空虚の肱掛椅子を見つめる。

 

 外面では、ブロツケン山の寒風に、夜が慄へて歯をきしらせる。その時、風見は突然、ゴチツク殿堂の破風のはうへくるりと向きなほる、かかるをり、頭巾のある長い外套の下は半ば裸身の娘が一人、ものさびしい路をやつて来て、門をたたく。彼女は若くて優美である、眼は可憐でぱつちりしてゐる。しかし、門は開かなかつた。つめたい装鐡具は熱情こめてしきりとたたく女の拳のかよはさに反抗する。――あまりに多くの女が、この敷居を越えたのだ。ヨハン・フアウストは玩愛につかれてゐる。彼には、もう何でもない、肩のはうへとおづおづ俯向いて来るブロンドの頭髪も、楽(けう)欲(よく)によつてゆるゆると征服されるはぢらひも。ヨハン・フアウスト、恋と青春に悩まされ、今はもう青春と恋に満腹してゐる……訪問客は、屈辱と絶望の涙をながして、慰めの河のほうへのがれて行く。

 

火焰の馬

――われは生ける死なりき……われ汝の死を死なんとす マルチン・ルウテル

 

 恐怖と宿命はあらゆる時代に横行しました。ですから、わたしの述べんとする物語になぜ日附をあたへませうか。わたしのお話の時代には、ハンガリイの内部で輪廻(りんね)の教義がひそかにではあるが根(ね)づよく信じられてゐました、とこれだけ云へばじゆうぶんです。教義そのもの、すなはち、その誤謬あるひは本当らしさをわたしはかれこれ申しません。けれどもわたしは断言します、ラ・ブリユイエエルが人間の不幸について云ふごとく、懐疑心のおほくは「孤独なるあたはざるより生ずる」ものです。

 しかしハンガリアの迷信には、あやふく荒誕に類するはしばしがありました。かれら――ハンガリア人は東洋の諸典証とはまるきり異つてをりました。たとへば。「霊魂は」とハンガリア人は云ひます。――ここで慧敏聡明なる一巴里人(パリジヤン)の言葉を借りれば。「可感的肉(コル、サンシブル)に宿ること一度のみ。かくのごとくして…………馬も犬も人すらも、それら実在の幻覚的類似にすぎず。」

 ベルリフイチング家とメツツエンゲルシユタイン家とは幾世紀にわたる不和の仲でした。かくまで著名なる二豪族がかくも殺意ある憎みもていがみあつたものはありません。この憎悪のみなもとは昔むかしの予言の言葉に見いだされるやうです。

 ――馬の騎者(のりて)のごとくにメツツエンゲルシユタインの死、ベルリフイチングの不死のうへを勝ち驕(おご)らむ時、たかき誉れはむざんにも滅ぶべし。

 いかにも言葉そのものに意義はないでせう。が、もつと瑣末な原因から、それも近ごろのこと、これに等しく重大な結果がありました。加ふるに、隣接してゐる地所は繁忙な施政事務にながらく張合沙汰(はりあいざた)を生ぜしめました。それに、近所同志の親しみはまれなものです。ベルリフイチング城のひとびとはその高らかな控壁からメツツエン宮殿の窓をのぞきましたが、大名暮しをしのぐ華美壮麗の展開されるため、系図も富みも一段とひくいベル家のいらだちはなぐさむ術もないのでした。ですから、いかに愚かなものにせよ、予言の言葉がこれら二家族を不和にしつづけたのが何のふしぎでありませう。もともと伝襲的嫉妬にそそのかされては争はんとするからです。その予言に意味があるなら、すでに勢力おほいがはの最後の勝利を意味するやうに思はれましたので、もちろん、いつそう威権のよわいベル家はにがき憎怨の情もてこれを味ひました。

 

といった感じです。

通販は↓

todorokimegane.booth.pm