メガネの備忘録

文豪の人間関係にときめいたり、男色文化を調べたり、古典の美少年を探したりまったりワーク。あくまで素人が備忘録で運用してるブログなので、独断と偏見に満ちており、読んだ人と解釈などが異なると責任持てませんので、転載はご遠慮ください

泉涓太郎作品集 蠍・鬱金帳編について(noteと同じ内容です)

こんにちは、メガネです。
男色文献の師匠と呼びたいO氏に泉涓太郎氏の作品がいいですよと聞き、「るさんちまん 3号」という雑誌に掲載のあった「紫縮緬のもえる町」という作品を読んだらその爛熟した果実ような耽美な言葉選びと吸いこまれるような文章表現にクリティカルヒットをうけ、泉氏が書いたほかの作品も読みたいけれど、掲載誌が現存していないと嘆いたら、ツイッター(現X)で雑誌を所持していた山中剛史先生から雑誌の複写をいただき(誠にありがとうございます!)、自分だけで抱えているのなんなので、今度の文学フリマ東京39(2024/12/1)で配布することにしました(ここで一息。ながい)。

今は、文字起こし校正を終わらせて、印刷待ちです。まーたぶん、刷り上がったらまたミス見つけるかもですが。
ではでは、気になる内容を紹介します。

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泉涓太郎氏は、「蠍」「鬱金帳」「象徴」に作品を残していて、今回は、「蠍」より「化け猫の話」「巻煙草」を、「鬱金帳」より「時計の街」「気ちがひになつた世之助」「紫縮緬のもえる町」「首」を収録しました。とりあえず各作品の序のあたりを以下に載せます。

化け猫の話

「時効にかゝる。」と言ふ言葉は、法律上、かなり重大な意義を持つてゐる。然し、人間は?――人間が時効にかゝると、耄碌するばかりである。まして、猫なんか、いくら劫を経たつて知れたものである。だから、化猫なぞと言ふ不埒な代物は、勿論、荒誕の部に属する。
昔、有馬の猫は化けたさうである。有馬中務大夫はお妾と力士とが殊にお好きであつた。稗史によると、九紋竜、外ヶ濱、鍋ヶ淵、小野川を初め、幕下の連中を合算して八十六名のお抱へ力士があつたさうである。お妾だつて、これに匹敵する位はあつたらしいが、遺憾ながら、故意に、或は偶然に、小説家者流の省略するところとなつた。殿様は上淫を望むには、あまりに自由がきゝ過ぎた。蜆売りの小僧与吉の姉におたきと言ふ素敵な美人がある。綺麗だから、殿様はひと目惚れで、お部屋様の一人にしてしまつた。言ふまでもなく、三千の後宮は顔色を失つた。殿様の御寵愛は理不尽に強かつたのである。口さがないお妾連である。嫉妬の火の手は櫓よりも高く上つた。然し、不思議なのは、終始一貫、泰然としてすまし返つてゐる奥方である。今にして思へば、奥方は新時代の思想を抱懐してゐたらしい。焼餅なんて不出来なものはやかないで、琴を弾じ、花を生け、月を賞して、塵境の外に超然として嘯いてゐた。そればかりではない。――殿様の御贔負になるおたきの方を、乗気になつて、自分から可愛がりさへした。尤も、奥方の容貌は決して上乗ではなかつたさうである。

巻煙草

 暖炉は、実に、華奢づくりだつた。丁度、一匹の牝猫の蹲つてゐるやうに。――けれども、石炭の焰は、有毒の色に赫いて、暖炉の口をひたすらに嘗めつづけた。
 独身主義の犯罪科学者、小山氏は、木乃伊のやうに硬直して、椅子に体は朽敗するかと見えてゐた。科学者の心は、今、論理の螺旋階を遥かに尖塔へ渦巻き上つてゐた。某重大犯人に、最後の鑒定を下さうとして。
 眼は、意識に独立して、卓上の或一点に視線を集注しつづけた。銀製の巻煙草の函の中に。
「被告ハ果シテ………」
 この時、幾十本かの巻煙草は、白い腹に銀色の波を撥ねて、悉く二重に錯動した。
 独身主義者は、高く空中に、眼舞を覚えた。彼は足を、心を踏みしめて、再び論理の追及に己を忘れた。唇は指を銜へ、歯は爪を噛み、しかも、眼は永遠に巻煙草の群に視線を集注しつづけた。
「被告ハ果シテ………果シテ………果シテ………」

時計の街

 時計と猫といづれが重大か。――おれは諸君の衛生学と倫理学と心(しん)の臓と美学とに訴へて、是非とも公正な判断を仰ぎたい。
実際おれは驚愕した。それから憤慨した。それから到頭しやくりのやうに十二度溜め息をついた。――と云ふのは極度に奇怪な、極度にあさましい、極度に低能な街に出会したからである。
薬缶やコオヒの空き缶を胸にぶらさげて得意がるのは野人の黒奴ばかりだ。ところがこの街の往来では、上は上﨟貴公子から下は私窠子僕僮に至るまで、ボンボン時計なみのやつを一つづつ胸飾り代りに吊りさげてゐる。人間だけではない。家家の棟にも鬼瓦代りに大時計を据ゑる。表札代りに千紫万紅の花時計を打ちつける。だから一歩街なかに踏み入ると、全世界の癲狂院から叩き鉦つきの躁狂性患者を掃き寄せたやうな、世界中の新聞社を印刷工場ごめに掻き集めたやうな、喧聒きはまる、言語道断の音響が耳朶をうつのである。

気ちがひになつた世之助
―Un Fantastique

二十世紀の世之助は今宵も黴くさい父祖の伝記をひもといた。真昼よりもしづかなシヤンデリアを夏細りのした肩のあたり一面に浴びて……………
灯心めいて、血の気のすがれた指かげが書院紙の頁々に肌さみしい戦慄をつづけてゐた。
置き時計の針はさつさとコンパスをまはした。そして、彼れの額にはにがにがしい皺が深まつた。いきなり、彼は乏しいつばきを床の段通にたたきつけた。それから、焦点のない瞳を一ぱいに広げ、玻璃窓のかなたに夜陰の植ゑこみを妙にぼんやりしたものに感じはじめた。
――おれの第一世はいくたりの女をものにしたと云ふのだろう。現世(げんせ)の快楽(けらく)を掬みほし、一代の風教を踏んづけて、勝ち鬨にほこる英雄のやうに海上の楽土へはるかな帆をあげた。そして、このおれは…………

縮緬のもえる町

わたしは何年まへに、この海ばたの町へうつされたかを存じません。
遠いとほい昔かとも思つてみます。指をり数へても、わたしの指はたつた十本しかないのですから。あやしげな記憶が刻み煙草のけむりのやうにむらむらして、今は衰へたわたしの官能がはなやいだ日の横顔(プロフイイル)をちらと嗅ぎだします。すると、わたしの腋の下にせつないものの羽根毛でこそぐられるやうな感触がをどります。――ああ、わたしはこの町の夏のはじめを呼びおこす。……………
蒸しあつい雨の晴れまを、わたしは藤の浪のにほふ街道をうろつきます。そして、美しい女子(をなご)の振り袖のやうにしなだれかかる藤かづらをなぶりました。纒繞する茎に、わたしははげしい動物性の愛執をみました。花弁は上品でおつとりしてゐますが、病みつかれた狂人の心(しん)の臓ともみられます。癇癖のつよい殿さまが鬱うつとして肉をおもちやになさるやうな、気色ばんだにほひでした。わたしは長栄軒春信の女人を胸にゑがきます。そして、笠森稲荷まへの水茶屋、鍵屋のお仙の腰を多情なこころであくがれるのでした。…………

空模様もぺつたり湿りをはらみ、うちからいぶり出される、息のつんだ温気(うんき)が今日もきのふもうちつづく。ときたま、はるばる港の空へ目をやれば、扱帯いろにもつれる雲をいらいらともて悩み、きのふも今日も背すぢ首すぢにねばりつく暑ぐるしさは毛虫のやうです。
 一本のタバコへ火をうつすのもこはらしく、ナイフの肌をさはるのさへ観念がゆがんで、夢ともうつつとも、鬱悪の号外がキラキラ翅をはやして飛んでいくので、たれもステツキをとりあげません。ピンクいろのパラソルは蛤のやうに蓋をしめ、それみづから襞のなかで刻こくにけがれを浴びるのです。
 かかるすさまじい迷景(ミラアジュ)のむかうを、素足きよく裾さばきよき一人の青侍があります。それの額はいよいよなめらかで、汗ぐむすべを未生の昔にわすれたかと見えました。指さきには、一枚の絹絵団扇をかいつまむ。

こんな感じです。
どうぞおたのしみに!