感想をたくさん書きたいと言いながら、思考もまとまらず、2月も半分を過ぎました。
いかがお過ごしでしょうか。
福島次郎氏の男色小説を探そうキャンペーンを意地になってやっています。
見つからないとわかると、余計に探したくなるのなんででしょうね。
さて、The kenというゲイ雑誌に福島次郎氏が書いた小説が転載されていると、前回の記事で書きましたが、2号に転載された小説が不明でした。
こちらは、詩と眞實1972年2月号掲載の「砂と太陽」とわかり、なおかつすでに複写をとっていたので、改めて読み返しました。
同人の主宰もする才女と大学教授の娘さんにアタックされる主人公は、貧しいながら船を操縦して暮らす少年の方が好きでした――。
という話です。あっさりまとめ過ぎなんですが、あまり私の先入観で書くと、面白みが半減すると思うので。はい。
ぜひ読んでほしいです。
あとは、なぜか宗教雑誌「宇宙」に、綿貫六助がコラムを寄せていて、文字起こししようかどうしようか、といったところです(しかしキリスト教関連の雑誌に寄稿してたり、仏教雑誌に寄稿していたり謎が謎を呼ぶ綿貫の執筆人生)。
男色でない綿貫のコラム、どれくらい需要があるんだろうか…。
宇宙昭和3年10月号「銀座ものがたり」の最初だけちょっと載せますね。
(誤字脱字してるかもです。すみません)
「銀座ものがたり」綿貫六助
一
今のモダン雌雄たちは、夢にも知らぬだらうが、私どもの初めて東京をみた頃には、新橋から上野、浅草と三点を連絡させる鉄道馬車があつて、曲り角あたりでは殊に、がらんがらんがらんと鈴(ベル)を鳴らして馳けてゐたものだ。そのあいまには、円太郎馬車があつて、テトテトテト、、、と今の豆腐屋のラッパを響かして転びあるつたものだ。
雨宮だの藤山だのが、電気鉄道と云ふ言葉を振翳して大騒動をやつたのは、その後の事である。
本所あたりでは、九銭出すと、赤飯だの、大福だの、お稲荷さんなどを、お腹の空いた二十前後の威勢んなからだへ一ぱいに充め込むことのできた時代である。
三崎町辺は渺茫たる原野で、鎮台兵の調練場になつてゐた。今の東京駅のだつて草原だったのだ。
まあ………その頃の銀座などは、しっとりとした趣きのあるものであった。
側面は黒シックイ、荘重な二階格子の特色濃厚な古風な商家がづらりと並んで、人の服装にも一層物色があつておもしろかった。
幾昔も月日が流れて後、明治三十四五年頃のこと、四谷見附の三河屋と云ふ御案内の牛肉屋などは、妙な坂のそばに黒板塀のさゝやかなのをまわした。小さな牛肉屋で、二十一銭出すと、牛一人前おしんこ一皿、御飯一人前と云ふ山盛安のカクレ場だった。私はその頃、軍隊の下士階級に身を捕縛させて、持前の旺盛の方も発揮させつゝ、適宜に道楽もしてゐたがつまり、二十幾銭で一週間の労を慰する事のできる時代だった。
二
その頃でも、今よりは、人の仕事がシットリと落ちついてゐたやうに思はれるのだから、その以前のものが今よりも優れてゐるものゝ多いのも頷かれぬ事ではない。
三
その後、堀は切崩される、電車は縦横にはしる、どころな話ぢやない、自動車、オートバイ、飛行機で、めまぐるしくなってきた。
何時だったか、私は、ゴム輪の俥をみて、第一、音がしないで、ヌーッと滑るのに驚き、次には、日光にさらさらと輝き渦巻くあの鉄芯の車の骨にキモをつぶしたものである。
梶棒の長い荷車の如き人力車でカタカタときしみ歩つてゐるのに目馴れてた私は、ゴム輪の俥が愛しさに見えて、はらはらと気が揉めてしようがなかったもの
である。
さうして、その頃は、御夫はみな六尺褌で臀べたから、前の睾丸をキック包んで、ある魅力的な曲線を出してみたところに、古風な空気が漂つてゐたものであつ
た。
時の移動と共に、急速な進展をしてきた、銀座あたりでも、あの今度の関東大震災を劃して、更にがらりと急変した。
そこに生れ出たのが、モガとモボだが、西洋の遊蕩児(ドリアン)と東洋の不
良を調合したやうな、雑種的、混血児的、無特色的で、何の問題とするほどのものではないが、よく示囃されるのは、どうしたものであらう。………もとより、いくら人まねが上手でも、あんまりほめたものでもなさゝうだ。
とは云へ、岡太く、どかんどかんと芯底にきさうな洋傘の短柄を、予行演習如として、モガが掴りまはしてみようと、モボが肩と腰の線をなよやかにくねらせようと、彼等の身辺には颯爽とした軽快なそして華やかな空気が馨つてゐないわけでもない。
けれども、昔のやうに純朴で、そのなりをみれば、その職業などもすぐ分るやうなのが重々しくて可い。一得一失だらうが…
五
銀座から話は外れるが、遊廓の吸附けたばこが、冷々とした備附けの稀薄な写真になり、圚厠には芬々臭気を放つ消毒液の器械が備附けられたとやら、この分でゆくと、お馴染には、ラヂオで呼出を掛けるやうにならうも知れぬ。新婚旅行は飛行機で、ちよいと世界を一周などゝ洒落出さぬとは断言できぬ。
つぶし島田の左褄が、白の露西亜軍旗を甲斐甲斐しく背に負うたカフェーの女給君に、けおとされたと云ふ噂なるも、そんな噂は、芸と貧と貞とを生命としてをる姐さんたちには何の矢も羽もたちはすまい。――
私は、国境の温泉の谷底をたゞよふ夜の暗闇を愛すると共に、明るく色彩と芳香と音響とに富みた当代の銀座の魅力に曳きつけられる。
けれども、昔の日本風の銀座の方が、何かにつけて、どうもおもしろく、なつかしい気がするのである。
――完――