メガネの備忘録

文豪の人間関係にときめいたり、男色文化を調べたり、古典の美少年を探したりまったりワーク。あくまで素人が備忘録で運用してるブログなので、独断と偏見に満ちており、読んだ人と解釈などが異なると責任持てませんので、転載はご遠慮ください

季刊男色 綿貫六助

はじめに

近代文学を支えた文豪たちの書の中に男色や稚児文化が息づいていることを知り、もっと男色文学があるのではないかと資料を探している中で出逢ったのが、綿貫六助という作家である。

実は以前に読んでいた叶誠人氏の「軍隊と男色」(個人誌・kindle)の中で異彩を放つ軍人出の作家であると指摘されていたその人であった。しかし彼は、軍隊の中に見られた稚児文化とはかけ離れた、老爺を愛する物語を描いていた。

改めて、綿貫六助に與味を持ち、彼の経歴や作品を見ると、自分のいわゆるBL脳では想像もしえなかった世界が広がっていた(後の章で紹介する)。

現実は小説よりも奇であることを、最近しみじみ感ずる。

今回は、綿貫六助の自伝的男色小説「晩秋の懊悩」「惨めな人たち」「丘の上の家」「静かなる復讐」、また老爺のみならずその妾にまで手を出し老爺に責められる「小松林」、戦争文学ながら要所要所に男色を挟んでくる「戦争」についても読み解いていきたい。

綿貫六助について

 

1880年(明治13年)4月18日、群馬県勢多郡森下村(現・利根郡昭和村)の豪農の三男として生を受ける。名前の由来は父の好きな男性から。十二歳ごろから年長の友などと性的な指導を受けていたことが、「黝い花」で多く語られている。

裕福な家に生まれたが、家が凋落し、職業軍人の道を進む。

1896年(明治29年)、17歳で陸軍教導団に合格。19歳で男色の洗礼を受ける。

その後、近衛歩兵団に配属、陸軍士官学校合格、仙台の歩兵師団第29連隊に入隊して職業軍人になる。

1904年(明治37年日露戦争に陸軍少尉として出征。戦地では連隊旗手をしながら、60過ぎの連隊長の愛人となった。その連隊長が従卒の美少年に浮気をしたので、ピストルを持ち出して自殺騒動を起こしたこともあった(後年には連隊長を殺そうとしたという趣旨の記述もあり、自殺したかったのか、連隊長を殺したかったのか、その両方かはわからない)。

1906年(明治39年終戦により帰国し、勲五等双光旭日章を授与。同年結婚。4男1女をもうけた。

1914年(大正3年)陸軍大尉となるも、軍旗祭で不祥事を起こし、除隊される。

その後、恩給のみでは生活できなかったため、早稲田大学の学生となり、作家活動開始。早稲田大学卒業後、東京府立第三中学校の英語教師となった。1922年(大正11年)にプロの作家に転身。生涯の作品は、112冊以上にのぼる。

晩年は生活が困窮し、交友のあった児童文学者や歌人から経済的な援助を受けていた。

1946年(昭和21年)12月19日死去、66歳。

作品のテーマは、戦記や自伝的小説など。「私の変態心理」で、〝男でも女でも、若いものにはあまりに魅力を感じませんが、老人殊に男性の四十位から六十位までの肉体美を有する人に、強烈な魅力を感じます。〟と書いてある通り、自伝的小説はちょくちょく愛するべき老爺が登場する。

小松林

 

1923年自然社より刊行された『霊肉を凝視めて』中の一篇。中尉と老漁夫とその愛妾の三角関係を描いた作品。

 

主人公、渡邊哲二は二十四歳の陸軍中尉。ある日の休みを利用して、以前演習で立ち寄った海近くで出会った、老漁夫・倉吉を訪ねる。

実は哲二は倉吉に恋しており、偶然を装って遊びにいったのだ。

倉吉は六十二歳、おたつという三十二歳の愛妾を哲二に紹介し、家に招いて酒や肴でもてなす。

歓待を受けながら、哲二は、うれしげに涙を光らせながら、食吉の胸に槌つて、その熱い頬に接吻した

その様子を翌日おたつが「あの毛だらけな腕に抱かれたのをおほえてゐて? 犬の仔見たいに、音をさせて顏ぢうをなめ合つたりしたんだよ。抱かれてねたのも知つてゐる?」と聞いてくる。

さらに続けて、おたつは倉吉が哲二を可愛がっていること、男同志の二人の関係がさっぱりわからないという。

再びの酒宴の後、倉吉が寝てしまうと、おたつが哲二を小松林へ誘う。後ろ髪をひかれながらも哲二は付いていく。

小松林で、並んで座り、おたつが「あなたは今までに、あんな風な爺さんを、幾人も知つてゐるの? それとも、うちのおとツつァんがはじめてなの?」と聞いてくるので、哲二は男色のなれそめを、

さうだねえ。私が十七の秋初めて陸軍の學校へはいつたその翌年からだつたね。その學校には、鹿兒島出身の給養班長下士がゐてね……私も最初は恐ろしくなつて、陸軍から逃げださうかと思つたが、そのうちに、その道に這入つたとでも云はうかね、今度はこつちで、それがよくなつてしまつてね、一人でねるのや 長靴のなかに固パンが入れてないと淋しく思ふやうになつたもんだよ。」「それから私は、男から可愛がられる味をおぼえたんだ。通りすがりにでも、いゝ爺さんなどに逢ふと、胸が躍つたり 顏が赤くなつたりするよ……」などと答える。

そんな哲二を変わり者だというおたつ。

然しあなたのやうにお爺さんを慕つて、それでどう云ふことをするんですよ。昨夜のやうに、口を吸つたり抱きつたりするだけなの?」と突っ込みを入れてくる。

哲二はさらに「お爺さんから一所に死なうと云はれゝば、心殘りなく死ねるやうな氣がする。」と告白するが、おたつは変わり者だと一刀両断する。

おたつは倉吉が嫌だというが、哲二は「私は、お前のやうにお爺さんに可愛がられたいな。まじめに愛してくれる人があれば、どんな人でもいゝ、お前がゐてみれば、だめだからなあ……醉つた氣まぐれの夢のうちだけなんだからね。私を抱いてくれるッたつて。」という。

とはいいながら、倉吉に対する罪悪感を抱きながら、誘惑しているおたつに、哲二は抗えない。今日はそのまま帰れというおたつの言葉に従い、哲二は倉吉に別れも告げずにそのまま帰る。

次の休みの日、おたつに反物の土産を買って倉吉の所を訪ねる哲二。倉吉が目を離したすきに、二人でいい雰囲気になるのだが、その瞬間を倉吉に目撃され、倉吉は怒り、逃げ出す哲二を泥棒と呼びながら追いかけるも、哲二は逃げ切りながらも、

あゝ、天罰だ! ……俺に罰があたつたんだ!……老爺だけを愛してゐたら 、罪ではあつても、こんなことには ならなかつたらうに!……  あゝ、しまつた!……俺に天罰が、あたつたんだ!……

後悔ひとしおであった。

 

ちなみに、「小松林」は綿貫の実体験をベースにしたものであったことが、同じく1923年発行の「私の変態心理」(「変態心理」11巻5号) で明かされている。

 

 

 

閑話休題

私の変態心理

 

1923年発行の『変態心理』11巻5号に載ったコラム。自身の同性愛体験を赤裸々につづった作品で、塗りつぶしや削除がなされており、削除や塗りつぶし部分が非常に気になるところでもある。

内容は、美男子だが惚れた男の持ってきた米相場のせいで凋落した父の話題からはじまり、十二才の頃から性愛の目覚めがあったこと、軍に入り、鹿児島出身の下士に襲われ、同性愛の道に入ったことなどが語られる。

同性愛への目覚めは克明に描かれており、次のようであった。

ある夜 烈な酒氣で私は眼をさましました。

と、むぐ〳〵と私の毛布のなかへ這入るものがあります。私は驚いて聲を立てようかとしたが、すぐに班長だと知れたから、默りこみました。すると、力い指先で、頻りに私の體ぢうをさがします。で、私は終に、それを初めに、潔白な體を汚されましたが、陸軍内幕の淺間しさに、憂鬱に陷つて、何回逃げ出さうかと思つたか知れませんでした。私は便所のなかで人知れず泣きました。

所が追々度重なり、彼は頻りに私を愛撫し崇拜するので、私は終に心的に墮落して、しまひには、整頓棚の衣類の間や長靴のなかの固パンを樂しみ、こつそりと入れてくれた班長の濃かな情を味はひ、一人ねるのもさびしいやうにさへなりました。

かうして、私は 受動的に、同性愛にめざめました。

軍で同性愛の洗礼を受けたのちは、大隊長や大佐にプラトニックな思いを抱く、宴会の席などで少佐に馬乗りになるなど、次第に能動的に活動していく。

中でも日露戦争従軍時には、

日露戰爭中に、私は少尉で從軍しましたが、初めて、同性愛の能動者として、休戰中や、對陣中に、間がな隙がな、それに耽つてゐました。最初野戰隊にゐたときは、戰闘が烈しかつたので、こそ〳〵野營間に 下士や兵卒のうちの愛好者と交情してましたが、負傷して内地へ歸り、再び出征したときには、後備步兵聯隊の兵姑守備だつたから、隙にまかせて大びらにやりました。

と戦争のさなか、同性愛にふけっていたことがあらわに描かれている。

また、連隊旗手となったときは、連隊長の愛人となるも、自分が選んだ越後出身の従卒に浮気され、山に入ってピストル自殺騒動を起こしており、大隊長に後からフォローされる。

隊長の愛人に雀という老人がいて、雀老人の家に数日滞在したとき、妾を勧められたが彼が選んだのは雀老人に抱かれることだったというエピソードもある。

日露戦争から帰還後も同性愛の対象を探し、出会ったのが老漁夫だった。老漁夫は彼を可愛がったが、肉体関係にはならず、むしろ老漁夫の妾が、彼をもてあそび、老漁夫と綿貫と妾の三角関係ができてしまう。そのあたりが前章で紹介した「小松林」に反映されている。

その後も従卒、農夫、書家、村長、町長など、数多くの年上の男性と関係を持つ。知らず真面目なものを選んでいて、無頼者はいなかった。

アタックを繰り返す中でもちろん拒絶されることもあったが、懲りずにどんどん攻めていくあたり、恋多き人生だったのだろう。

戦争

 

1924年に聚芳閣から発刊された、綿貫の日露戦争従軍体験を小説化した作品である。

主人公和田眞介少尉は、日露戦争に従軍し、満州で数々の死地を潜り抜けるが、蓮花山での戦闘で負傷し帰還する。

軍記ものとして読み応えある作品だが、この本が取り扱うのは言うまでもなく男色なので、男色目線で見ていこう。

下士で近衛歩兵聯隊に赴任した和田は、二年間、ある大隊長に憧憬を抱き、「その男の為なら、またその男となら、何時でも、悅んで死ねる」と思っていた。次に士官学校の吉岡大尉に特別待遇を受け、美しい憧憬を抱いた。なお、戦争中に衣匣に忍ばせていた写真はこの吉岡のもので、それを見るたび憧憬と愛慕が和田を慰めていた。

 

負傷したロシア兵の捕虜と看護する兵のエピソードが秀逸なので見ていこう。

五十六七に見える四十六の農夫出の負傷したロシア兵を、顔の美しく、綺麗好きで手まめな田中という兵がつきっきりで面倒を見ていた。おなかを壊したロシア兵のためにおかゆを作って食べさせ(髭を米だらけにしながら喜んで食べる)、腹を温めてやり、汚物をタオルで綺麗にふき取っていた。夜、並んで寝ていたのだろう、

老兵は、若い親切な、女のやうな顔をした日本兵の手を取つて自分の枕許へ曳きよせた。その拇指を、自分の頬髯に摺りつけてから、ぱくんと口に容れて、やわらかにかみしめた。玉のような涙が、光の失せた碧い一方の眼から、高い鼻筋を越して、下の方の眼に流れ込み、それがまた流れ出して、もじやもじやの頬髯を、べツとりぬらした。

映画のワンシーンのようなことが繰り広げられた。

なお、この田中という兵は綿貫の投影だが、同じく綿貫の投影たる和田がこのロシア兵に心寄せるが思いが叶わない、という描き方もされている。

 

描かれるのは男色だけではない。立ち寄った村で、老爺に惹かれながら、その老爺の娘と関係を持つこともあった。

『戦争』というタイトル通り、日露戦争の様子を克明に描く一方、同僚の兵士や敵のロシア兵、戦地になった満州に住む人との交流など、群像ものとしての魅力も持った作品である。

 

 

『変態・資料』より

晩秋の懊悩(第3巻第1号)

 

『変態・資料』第3巻1号(1928年2月号)に掲載された、綿貫六助の自伝的男色小説である。

 

五十に近い年齢の自分を晩秋と例えるが、気力・体力・精力は三十歳前後を保っているという。

前書きに次いで始まるのは、彼の身の上話だ。ここは前章と重なる部分が多いので省略するがなかなかセンセーショナルな性愛人生を幼少期から歩んでいることがわかる。

さて、彼の恋模様を見ていこう。

 

ケース1:婆と爺と私

ある春の日、私(綿貫)は会津へ婆さんに逢いに行く。勿論、恋仲である。しかして婆さんには夫たる爺さんもいる。家に招かれ、爺さんに逢うと、婆さんより爺さんに性的な與味を持ってしまい、酒の席で爺さんに抱き着いて顔に接吻しようと試みる。爺さんは「男が男をどうするちうだ?」と私を折檻する。それを無限の快感としてしまう。

夜、婆さん、私、爺さんの順に並んで眠る。私の足が婆さんのそれに重なるようになっている。

夜明け頃、爺さんが、私が婆さんに引っ付き過ぎだと怒る声で目を覚まして、私は婆さんから離れる。

『私は爺を殺したい程可愛くなった。――』

いびつな三角関係が生まれた瞬間であった。

 

ケース2:温泉と私

温泉で爺探しをするのが好きな私。ある日、禿頭のデッチリと太った目の細い、人相の良い五十五六の爺が湯に入ってきた。按摩の仕事をしていると知り、爺に按摩を頼むついでに色事を要求するが、仏教の話などを持ち出して、説教してくる始末。その爺をあきらめ、他の爺を探すことにした。

 

ケース3:心通うと思いきや

宿の隣になった爺と意気投合して、酒を飲み、「まだ若いな、その気があるのかい?」腕を巻き付けてくる爺に家に誘われるが、厠に行ったまま帰ってこない爺を探すと、他人の部屋で塩屋判官か何かをしていた。

 

ケース4:松さんと私と與藏さん

温泉で爺を物色中に、松さんという百姓と出会う。ゆで卵の白味の感触の臀部、黒水晶の歯、艶々しい紅の唇を持つ松さんと関係を持つが、話し上手で常識が豊富、どう考えても純真素朴な農人でないのに、一抹の不安を感じる。

松さんに再び会いに行く四五日前、私は與藏爺さんのもとを訪れていた。

百姓の家に泊まった私は、與藏爺さんを宿の婆さんの情夫だと思い嫉妬していたが、一緒に風呂に入り、背中を流すときに誤解だと知り、與藏爺さんは恋愛対象になる。

夜、二人で布団を並べて寝たので、寝込みを襲うと、抱擁には抱擁が、口吸いには口吸いが返ってくる。しかし、それ以上は出来なかった。私は與藏爺さんの胸毛に頬を摺り寄せるまでしたが、翌朝、與藏爺さんがいなくなったので探しに行くと、婆さんと密会していた。実は婆さんは與藏爺さんの弟の妻で、弟が死んだ後、自身も妻のいない淋しさから関係していたのだった。

私は寂しくなり、松さんを訪ねるが、松さんの行動からその心が自身に向いていないことに私は懊悩に悶える。

 

 田舎に出掛けた私が、様々な爺と恋に落ちるが多くは恋敗れて終わる、読後に少しさびしさを覚える小説である。

 

惨めな人たち(第3巻第2号)

 

百姓宿屋に逗留していた私(綿貫)は、ある日、酒の支払いが滞った爺に酒を奢る。その爺は兵さんといい、『印度人の如く、黝く煤けた顔にも軀全軆にも、爭われぬ天禀の頑丈な美』が滲み出た、『髭むくな豊頤、無邪気そのものゝ如き魅力のある眼』で、目をつけて、いつか探し出そうと思っていた爺だった。

兵さんは妻を亡くし、跡継ぎの娘とその妹と三人で百姓などをして暮らしている私より十二若い五十六歳。

逢瀬を重ね、二人で山道を散歩中にキスをする。動揺する兵さんだったが、私を受け入れ、半月後には兵さんは処女ではなくなっていた。

ある宿屋に二人で遊びに行った時、そこの婆に目をつけ、乱交に及ぶ。私の気持ちは燃え上がるが、兵さんはそうでもなかった。

この頃、私には兵さんのほかに松治郎と龍太郎という別の爺とも別懇にしていた。しかし二人とは、体の関係はなかった。

ある日、私をめぐって、兵さんと龍太郎がいさかいを起こすのを、ヒロインよろしく私は見ている。

その後、龍太郎の家に遊びに行った私は、龍太郎に兵さんのことで折檻され、犯される。その場面に、龍太郎の妻もちょくちょく出てくるのであるが、龍太郎と私が二人で寝る事にも、交わって犬のようになっているのも、眼前で見ているのに動揺することなく冷静に対応しており、妻の動じなさに驚く。

 

後半は、「丘の上の家」(『変態・資料』3巻3号)、「静かなる復讐」(『変態・資料』3巻4号)に出てくる、別の兵さんとの物語の導入である。

それは、「丘の上の家」「静かなる復讐」の時に取り上げることとして、綿貫の軍人時代と妻の話題が出てくるので、少し記しておく。

綿貫の妻もまた同性愛者で、結婚前は同性の恋人や書生と関係していたらしい。性格はさばさばしているのか、綿貫の恋多き人生に対し、「では、いよ〳〵あなたも、その一番好きな一人のお爺さんで、もう、身をかためるといゝわ。どんなお爺さん? はやく見たいわ」などとはしゃいだ発言もしている。家を出奔したこともあり、妻がいない間に、「丘の上の家」「静かなる復讐」の主人公たる爺が家に来て、綿貫は「お爺さんだよ」と家族に紹介し、一緒に暮らすのである。

また、軍時代のエピソード。六十を一二過ぎた連隊長の愛人となり、それなりに甘い生活をするのだが、ある従卒を連隊長につけたら浮気をされたので、ピストルをもって山に行き、巡察に保護される。その後、連隊長にやはり君でないとだめだとか、娘を娶せたいなど言われるが、綿貫はそれを受け入れずに、前述の妻と結婚した。

 

 

「丘の上の家」(『第3巻第3号)

 

恋多き綿貫に『私には、今、ゐてもたってもゐられないほど可愛いお爺さんが一人ゐる。』と言わしめたのが、「丘の上の家」、「静かなる復讐」のヒロイン(?)兵さんである(ちなみに「惨めな人たち」の兵さんとは別人)。

銭湯で出会った二人、私(綿貫)が惚れて声をかけたのが始まりだった。私三十七八歳、兵さん四十六の時である。

白乳社(牛乳を扱う会社?)で牛相手に仕事をしていた兵さんは、『美しい牡牛のやうな顔に、人間の顔が有つ品位と愛嬌と敏感とを調合して製しあげた顔』で『額はガッシリとして高い。眉は濃く高僧の如く秀でてゐる。少しくぼんだ鳥睛がちな大きな眼、それが、牛の柔和と忍従と、人間がもち得る最大の神秘的な陰影をひそめて』おり、にっこりされると私は悩殺されてしまう。余談だが、いろんな作品を読み進めると、どうやら牛のような顔が綿貫の好みのタイプであるようだ。

その後、私にいろいろあり二人に接点はなかったが、約十年後、私の江古田の家から一里先の田舎で、再会を果たす。

あまりの嬉しさに私は兵さんに接吻を浴びせる。兵さんは拒まない。

その頃、兵さんは以前勤めていた白乳社を首になり、丘の上の家に住んでいた。家には、妻と聟と孫がいる。

娘はすでに死んでいるが聟はそのまま一緒に暮らしている。

娘が死んだので、その子供(孫)を妻が育てていること、鶏飼商売をしていること、暮らしが貧しいことを教えてくれた。

再会を喜んだ私は、兵さんと逢瀬を重ねる。プレゼントもする。ぞっこんである。兵さんとも肉体関係を持ち、私は幸せの絶好調だった。

ある日二人で酒を飲んでいると、兵さんが、「聞いてもらいたい苦しみがある」という。

実は、聟と妻が男女の仲になっており、二人を殺そうと思っていること、けれども聟が稼ぐ金がないと暮らせないので、そのままにしていること、聟には情婦がおり、聟に金を渡していることなどを告白した。

私は同情し、女房も孫も家も奪われて、牛になって私にたよる哀れな爺さんを、乞食をしても養おうと決心する。

その日はそのまま酒を飲んで別れ、その後も逢瀬を重ねるが、先立つ金がなく、兵さんを自由にしてあげられない。

助けを乞う兵さんに、愛深く接する私は慰めの言葉をかけ、爺さんを引き受けることを決心する。

 

 

「静かなる復讐」(『第3巻第4号)

 

私(綿貫)の妻が出ていき(「惨めな人たち」参照)、入れ替わりで家出してきた兵さんが家に住み込む。家事を担う兵さんと新婚夫婦さながらの楽しい日々を私は花嫁の気持ちで過ごしていた。出奔していた妻が一時帰宅したときも、妻と兵さんが関係したら…などという甘い懊悩を感じたりした。

兵さんは自宅を売り、その金で妻と聟に訴訟を起こし、聟が飼育していた鶏も売るという算段だったが、なかなかうまくいかない。私は兵さんを慰めたりサポートしたりする。

暫くして、兵さんが家を売る算段ができた頃、私は、すべての復讐を終えた兵さんを自分の家に置くことに不安を感じ、また愛欲の日々の所為で自分の仕事が手につかないことにいら立って、兵さんの復讐がかなうまで同居はよそうと兵さんを家から追い出す。

しかし兵さんを追い出し、妻もいない家の中は寂しく、私は兵さんが間借している家に遊びに行っては逢瀬を重ねる。

その間、兵さんは弁護士に頼り、着々と妻と聟への復讐を整えていた。

そして復讐の日、弁護士などを引き連れて家に向かう。「借金のカタに全てを売った」という兵さんに、聟は駐在所に駆け込んだが無駄であった。妻も自分と孫を殺せと反抗し、聟の情婦が泣き縋ったが、兵さんの心は揺るがなかった。

「あゝあツ、これで、ほんとに、さつぱりとしたよ! いゝ氣持ちだ! セエ〳〵とした!……!」

兵さんは復讐を遂げたが、代わりに家、家族を失った。

もう妻はいらないという兵さんの、『老爺が終生にツレソフ暗示的な艶々しい眼』に、私はとろけ入るやうな甘さと、老人の為め奪斗すべき力を躰内に泌々と感じたのだった。       

 

 

閑話休題

性愛十日物語

 

綿貫六助の『変態・資料』掲載の小説を紹介したブログ「本を見て森を見ず」内の「綿貫六助の男色小説」の記事に、「性愛十日物語」という雑誌に記載の「山乃湯の狂態」が綿貫六助のテキストではないか、とあった。

読んでみると、メインは年下の若い男性に言い寄られて困る五十の男の話であるが、確かに老爺に恋する主人公(男)がいること、『変態・資料』に記述のあった二人の兵さんが出てくること(ただし、年齢計算が合わない)などから、綿貫の作品だと仮定して、内容を見ていこう。

 

山乃湯(会津と思われる)に逗留している私。飲食雑貨店で出会った爺さんが店を出た時、盲人開眼『壺坂霊験記』の澤一の気分で爺さんを背後から抱きすくめると、爺さんは「キシヤ――ッ! なんだ〳〵ッ? たすけてぇーッ!」と逃げていったのを酔狂のエピソードとして紹介する。

滞在している山乃湯は、私の愛人の兵さん(中氣(脳卒中か)で死亡)ともう一人の兵さん(八十二歳で、子・孫がいる)と縁がある場所で、ある酒の夜、生きている兵さんに性的関係を断られ、普通の交際を求められる。私はそれを受け入れることが語られる。

また、私は重郎さんという、ニ三歳しか違わないが相当の苦労をして老け込んだ爺さんを恋するようになる。重郎さんについて、彼がかわいそうで泣くのではなく、老け込んでおじいさんになったからうれしくて泣くという筋金入り。

前述の、抱き着いたら逃げた爺さんの穴を埋めるべく、私は重郎さんの家に行き、就寝している重郎さんに何かをして(塗りつぶされているため詳細解らず)重郎さんは目覚め、私を抱き寄せる。

 

そんな騒ぎを起こした次の日、宿に「新井優」という青年が訪ねて来る。新井は、大学予科の3年で、経済学部所属の貴公子然とした青年だった。菓子と酒を差し入れてきた青年に、自分と同じ性癖(老人性愛)があるようだが、自分は年下は恋愛対象外なので、どうにかして新井青年のアタックをかわそうとするが最終的に、『奇怪な私も、前途洋々な人のために甘い囁きに浸りました』とあるので、肉体関係に陥ったのではないかと思われる。

肉体関係にあった(?)次の日、ドーンと音がしたので、新井青年がピストル自殺でもしたかと慌てたら、宿の女中が新井青年が宿を発ったことを告げる。先ほどの音は自動車の音だという。宿の女中曰く『雲のやうにきて、風のやうに飛んでッたわ』。

この話が綿貫の手記であるならば、本来趣味でない、年下男を相手にしたという貴重な資料となるが、綿貫のものかどうかはさだかではない。仮に山崎俊夫の名をかたった倉田啓明のように、誰かが綿貫六助を思わせる文章を書いたとするなら、綿貫の作風や生活を克明にまねしていて実に興味深い。

なお、『性愛十日物語』は初版以降、塗りつぶしが多くなるので、初版以降を読む場合、行間を読む腐女子の根性が試されるかもしれない。

 

そのほかの作品について

 

綿貫作品の中には、丸ごと男色作品ではないものの、作品の中に男色がしれっと描かれているものがある。以下、数編紹介する。

 

「黝い花」

與吉は、小さなころから女性の陰部を見たり、性交渉している男女を見たり、話を聞いたりしていた。最初は嫌っていた老爺も次第に好きになり、寝ている老爺の性器を触って驚かれたこともある。性的な興奮めいたものを「黒い花」と呼んでいた。

軍に入り暫く萎えていたその花が再び光り出したのは、鹿児島出身の下士から男色を教え込まれた時だった。その軍曹を恋人のように思っていたが、恋人は別にいて、仙台出身の會田特務曹長だった。彼は日露戦争で戦死するまで與吉を気にかけてくれていた。

また、士官学校時代、吉岡中隊長にプラトニックな恋をささげている一方、佐貝曹長と井上曹長が與吉をめぐって争っていた。それを吉岡に知られることが與吉はこの上なく恥ずかしがっていた。

綿貫の幼少期を知ることのできる作品である。

 

「海岸村の散步―靑堀鑛泉にて―」

東京での暮らしから逃げるように湾岸村に来た私は老人の神主と出会う。その神主が気に入ったので、話をしていると、農夫が通りがかった。神主も可愛らしいが、だるまのやうな顔の、生まれたまゝ、何の苦もなく、齢だけ重ねてきたやうな農夫を、泌々見入ると、抱いてやりたいほど、私の心は動いてきた。

神主と農夫と会話を続けるが会話の内容が難しくなると農夫が別れた。私は農夫の後を追い、酒に誘うが、農夫は断り別れる。

好みの爺さんに手を出そうとするも失敗した例であろうか。

 

「雪」

京介は妻の実家の世話になるなど肩身の狭い思いをしていた。ある晩、酒を飲み歩いていたところ、そばやにたどり着く。そこでは中年の女を囲んでニ三人の親爺たちが飲んでいた。京介は親爺を一人一人抱いた。ある丸顔の親爺の銀髭に唇を当てた。喘ぐ親爺が「男と男ぢゃ、なつともはあ、しかたあんめえしたあ!」と言って、自分の肩にかかった手を女の肩に乗せた。酒に酔っている京介はそのまま女の膝に突っ伏してしまう。

女に見惚れる京介。やがて、泥酔状態から眼を覚ますと、戦争中に嗅いだ、野宿をする人の臭いをかぎ、慄き立って、そこらあたりにある帯を手あたり次第腰に巻き付け、その場から逃げ出した。

女は狂女で後日「俺の色男は軍人さまだ」と京介との夜を言いふらす。京介の妻だけが事の次第を知らず、京介が持って帰った女物の帯に首をかしげた。

話の主題は「狂女」なのだろうが、そばやに入って女に目もくれず、突然、次々と親爺たちを襲うあたり、綿貫らしい作品である。

 

引用・参考文献

 

〝小説家 綿貫六助 (PDF)〟. 広報しょうわ No.525. 利根郡昭和村. p.3 (2013年3月) 2021年12月5日閲覧。

城市郎『地下本の世界―発禁本 2 (別冊太陽)』 2001年

「小松林」『霊肉を凝視めて』自然社 1923年

「私の変態心理」(『変態心理 22巻』大空社 1998年)

「戦争」(『群馬文学全集第17巻 群馬県土屋文明記念文学館 2002年)

「晩秋の懊悩」(『変態・資料』第3巻第1号 文藝資料編輯部 1928年)
「惨めな人たち」(『変態・資料』第3巻第2号 文藝資料編輯部 1928年)
「丘の上の家」(『変態・資料』第3巻第3号 文藝資料編輯部 1928年)
「静かなる復讐」(『変態・資料』第3巻第4号 文藝資料編輯部 1928年)
「山乃湯の狂態」(PR叢書『性愛十日物語』三興社 1931年)

「黝い花」(『変態黄表紙』第2巻第1号 1927年)

「海岸村の散步―靑堀鑛泉にて―」(『文章倶楽部』大正12年7月号 1923年)

「雪」(『文章倶楽部』大正14年3月号 1925年)

本を見て森を見ず「綿貫六助の男色小説」

http://blog.livedoor.jp/benirabou/archives/52409426.html

 

※なお、綿貫の「小松林」「戦争」は国立国会図書館デジタルで読むことが可能。『変態・資料』はゆまに書房から復刻版が出ている。

 

 

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